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沖縄に行ったら失っていたものがちょっと見えた話〜後編〜

ずいぶん前に書いた沖縄のお話前編

もう前編を書いてから3ヶ月も経ってしまった。後編は前編みたいに書けない気がするけど、それでも今日なら書ける気がして、ハイボールを片手にnoteを開いた。

<前回の話の概要>
もともと旅行が大好きだったが、子供が生まれてからめっきり旅行をしなくなった。そんな私が、2023年の10月末、10年ぶりに沖縄を訪れた。いつも温かく包んでくれるような沖縄の海を目の前にして、私はかつての感情を少し思い出していく…。

続・残しておきたい旅の思い出

DAY3 パイナップルパークと、国際通り

久しぶりの再会を満喫した翌日、この日は家族水いらずで沖縄観光に向かった。

私は沖縄旅行を決めた日からずっと夫と娘に見せたかった場所があった。9年前、両親と一緒に行った平和祈念公園から見る海の表情がずっと忘れられなくて、私はどうしても夫と一緒に行きたいと思っていた。

この日はナゴパイナップルパークから国際通りの第一牧志公設市場でお昼を食べて、平和祈念公園に行くという予定だった。

朝10時、パイナップルパークに到着。出迎えてくれたのは繰り返されるこの歌。

脳裏に焼き付いて繰り返す、娘たちの沖縄旅行の忘れられない思い出の歌となった。

パイナップルパークは子連れにはもってこいの場所だった。少し平成風を漂わせる施設に、ソウルの現代的な施設に慣れている私たちは物足りなさを感じながらも、普段見ることのない植物や蝶々に魅了されパイナップル農園を満喫した。

次なる目的地は国際通り。車で約30分くらいかけて、国際通りに到着。

国際通りは少し名古屋の大須と韓国の東大門をミックスさせたような雰囲気だ。やはり、日本の本土とは少し違う雰囲気を感じる。

この日の大目当ては第一牧志公設市場で海鮮料理を楽しむこと。

国際通りを少し歩き、市場に到着した。

2023年の7月にリニューアルオープンした市場ではあったが、どこか懐かしい匂いがした。20代の前半に過ごした、シンガポールのホーカーセンターのような、あの東南アジアの独特な香りが漂っていた。

第一牧志公設市場の様子

ここの市場の醍醐味は「持ち上げシステム」。1階の市場で売られている海鮮やお肉などを購入すると、そのまま2階の食堂で新鮮な状態で調理をしてもらい楽しむことができる。

私たち夫婦の唯一の共通の趣味は食べること。旅先の満足度は食の満足度と比例する。少し奮発してもいいものを食べる。これが私たち夫婦の旅のモットーだ。

第一牧志公設市場の鮮やかな色の魚たち

私たちが選んだのはイラブチャー、グルクンに伊勢海老。夫に「どんな魚?」と言われたけれど、私も初めて聞く魚の名前ばかりだった。

熱帯の魚ならではの鮮やかさ!

魚を選んだら2階の食堂へ。お座敷で子連れにもとても優しい場所だった。伊勢海老はお刺身で残りを味噌汁に、イラブチャーはお刺身とバター焼き、グルクンは唐揚げ、それに追加でゴーヤチャンプルとジューシー(沖縄の炊き込みご飯)を頼み、グルメにうるさい韓国人の夫にも大満足な時間となった。

イラブチーのバター焼き。身がたんばくで子供にも食べやすく大人気でした!

こうして胃袋が満たされ、第一牧志公設市場を後にした。

このあと、平和祈念公園に向かうつもりが、10月末でも思ったより暑い沖縄の気候に、娘や夫が完全にダウン。この日は南下するのは諦めて、宿に戻ることにした。

子連れの旅行は思った通りには行かない。いや、旅行だけじゃなくて、生活そのものが思った通りには行かない。

だけど、それがきっと愛おしい記憶になる。子供との特別な瞬間はいつも思い通りに行かない時にやってくる気がする。こういう時間は今しかないのだから。

DAY4 忘れ物が導いてくれた、最後の時間

沖縄で最後の朝を迎える。前日に少し仕事を片付けたかったので、夜更かしをしたのに、朝は6時前に目が覚めた。

娘たちと夫はまだ眠っている。このままこの時間を終わらせたくなくて、朝ごはんを買うついでに、近くのコンビニまで少し散歩に行くことにした。

この場所が私を包み込んでくれる。青い空が見える。青い海が見える。波の音が聞こえる。高層ビルに囲まれたソウルにはどれもえられない景色だ。

沖縄に住むのはどういう感じなんだろうという思いから、近くの不動産屋さんの物件を目にする。

夫はきっと、沖縄に住めないだろうな。この街はワンクリックでなんでも解決できる、ソウルという大都市育ちの彼を満たせない。

沖縄に住みたい気持ちが、夫と一緒に暮らしたい気持ちに勝る時が来るのだろうか。子供達が大きくなった時、私は夫に対して、どんな感情を持っているんだろうか。そんな想いを巡らせていた。

宿に着いた。娘たちは起きていた。娘たちとEテレのピタゴラススイッチを見ながら、コンビニで買ったサンドイッチとおにぎりを食べていると、机の下に小さなサングラスが落ちているのを見つけた。

先日会った、アメリカ人の友人の娘ちゃんの忘れ物だった。

彼に連絡すると、「娘がとても大切にしているものだ。でも、新しく買うから気にしないで」と言われた。

私はこの日17時の飛行機に乗る前に、平和祈念公園に行きたいと思っていた。

だけど、場所よりも人の方がずっと大切なことを私は知っていた。どんな場所や環境にいても、大切な人たちが周りにいれば、それなりに楽しくやっていけることを私はよく知っていたし、私はそうやって優先順位をつけて、人生を選択してきた。

だから、平和祈念公園行くのを諦めて、彼にサングラスを返しに行くことにした。彼が勤めている職場は宿から空港への通り道でもあり、動線的にもちょうどいい。そして何よりも彼にもう一度会っておきたかった。

朝10時。チェックアウトを済ませて、少しドライブをしながら彼のランチタイムに合わせて、彼の職場に向かった。

途中、寄り道をしながら、最後の沖縄をゆっくりと楽しんだ。こういう計画のない時間が旅の一番の思い出になったりして、私は大好きだ。

モデル体型の娘と沖縄の海はとても絵になる

彼の職場に着いた。沖縄なのにアメリカみたいな場所だった。

昼ごはんを食べに、彼の職場から近い恩納村の道の駅に行くことにした。

恩納村の道の駅

彼はずっと、娘の相手をしてくれていた。騒がしくて、落ち着きなない娘。人懐こくて元気だけど、私はいつも人に迷惑をかけたり、突拍子もないことを言ったりして困らせないか、ヒヤヒヤしている。

優しい彼は、そんなのは関係ない。娘のありのままを受け入れてくれた。我が子を受け入れるかのように。

娘にとっても日本の沖縄で、アメリカ人と日本語でやり取りをするというとても貴重な体験になっただろう。

最後に彼に会えてよかった。それはきっと平和祈念公園に行くことよりずっと、沖縄での思い出が、娘の記憶に濃く刻まれたに違いない。

こうして、私たち家族は3泊の沖縄旅行を終えた。

私はきっと、また沖縄に行く。

沖縄になんのゆかりもないけれど、
沖縄は、根無し草の私にとって、ただいまと言える場所になった。

【おまけ】

今回いけなかった平和祈念公園。私は沖縄で、いや、もしかしたら日本国内の中で一番好きな場所かもしれない。

平和祈念公園には平和の礎(いしじ)と呼ばれる記念碑がある。この記念碑には太平洋戦争の沖縄戦で亡くなったすべての人々の名前が国籍や身分の区別なく刻まれている。

もともとは日本の領土でもなかった沖縄で、たくさんの犠牲を出した沖縄戦。だからこそだろう。敵や味方など関係なく、戦争の悲劇を刻んでいる。太平洋戦争で戦った、アメリカ兵と日本兵をはじめとする、日本兵として出兵した当時植民地だった韓国人や台湾人の名前もある。

日本と韓国という複雑な歴史背景を持っている国境の狭間で過ごす私にとっては、この場所はとても特別に感じられた。

戦争というと、被害者と加害者にフォーカスされがちだけど、この場所にはそれがない。ただただ戦争によって失われた尊い命を思い、平和を願っているそんな場所である。

だから沖縄の海はなんだか少し悲しく笑っているように私には見える。その表情がどうしても忘れられないし、忘れたくないと思っている。

▼note公式の国内旅行記事のまとめにも取り上げられた、前編はこちらからチェック👀




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