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沖縄に行ったら、失っていたものがちょっと見えた話 〜前編〜

「ハワイやチェジュ島、グアムやサイパン。海が綺麗な島の観光地はたくさんあるけれど、沖縄の海はただ美しいだけじゃなくて、沖縄の海にしかない表情があるの。」

沖縄行きが決まった時に、初めて沖縄に行く韓国人の夫に話した言葉。

沖縄の海には沖縄の海しかない魅力があって、初めて沖縄に行った時から、私はその海の虜になった。


3回目の沖縄旅行

いつも特別だった沖縄旅行

私が沖縄に行ったのは今回で3回目。
1回目は、大学生の頃。高校の仲良しメンバー男女8人と。くだらない話をしたり、将来について語ったり、とにかく一緒にいるだけで楽しかった。

その後、私が留学して不在の間に、男女間のいざこざがメンバーであって、留学から帰ってきたら、もう集まれなくなっていた。よくあること。もう随分会っていないみんなは今元気でやっているだろうか。ずっと続くと思っていた日常が変わっていく寂しさをあの時身に染みて感じた。

2回目は両親と。大学時代、実家にホームステイしてくれていたアメリカ人留学生の結婚式のために訪問した。沖縄人とアメリカ人の結婚式に参列。披露宴での余興の数の多さに、日本の本土の結婚式との違いに驚いた。

この旅行が、両親と結婚前に行く最後の旅行になった。この時に両親と訪れた平和祈念公園は今でも私の中でとても特別な場所だ。

2013年に両親と訪れた平和祈念公園の写真

飛行機に乗った、初めての家族旅行

3回目の今回は、前回の訪問から10年ぶりだった。飛行機に乗っての旅行は出産後は今回が初めてだった。

いつしか私にとっての飛行機はソウルから名古屋に向かうだけのものになっていて、いつも帰省のためだけに使っていた。

子供が生まれてからは旅行が好きじゃなくなった。というより行きたくなくなった。子連れの旅行は疲れるし、準備が大変だ。飛行機に乗るのは帰省だけで十分だった。

名古屋に帰れば、友達もいるし、両親もいて、子供を見てくれる人がいる。だから、苦労して飛行機に乗って行くならいつも名古屋の実家に帰りたかった。

それでも私の重い腰を上げてくれた、沖縄

夫が仕事を辞めて、次の仕事が始まるまで、休職期間が一ヶ月あった。初めて転職する彼が、社会人になって始めてできた長い休暇だ。だから少し特別な旅行に行きたがっていた。

でも私は相変わらず旅行に行くことは億劫だった。それでも、今回沖縄へ行こうと思ったのは、私の中できっと何か変化があったんだろう。でもどんな変化があったのかはうまく言葉には出来ない。とにかく沖縄が私を呼んでいる気がした。

元々独身時代は思い立ったら次の日にでも航空券をとって、旅に行くほど、旅が好きだった。大学時代の夢はパスポートをいろんな国のスタンプで埋め尽くすことだった。

私は自分の好きの一つをいつの日か見失っていた。

沖縄。やっぱり好き

私の中に「好き」という気持ちが溢れたのはいつぶりだったんだろう。

長女を産んで8年。自分の好きだという気持ちにいつの間にか無頓着になっていた。子供がいて、諦めるとか、自由がなくて悔しいとか。そういう気持ちでもなく、自分のことは二の次とかそういうものでもなくて、ただただそれが自然でそれが日常だっただけだった。

だからちゃんと今回の旅行のことは忘れないように書いておこう。

残しておきたい旅の思い出

Day1 アメリカンビレッジ

那覇空港に到着して、レンタカーを借りた。時間はすでに15時。宿は中心からは1時間半くらいかかる本部町だった。

子連れでどこかに行く時間はあまりなかったので、途中アメリカンビレッジに寄った。

沖縄のアメリカンビレッジは不思議な場所。周りは米軍基地の住宅地に囲まれていて、色もカラフル。行った日はハロウィンの前々日だったので、ハロウィンの飾り付けに娘たちは大喜びだった。

記憶が甦る。20歳の時この場所に訪れたことがあったこと。20歳の私はこの場所かなんだか自分がいるべき場所だと少し思ったこと。

気づいたら、夫に言っていた。
「私、沖縄が好き。好きだったの。」
「知ってるよ。」
夫は答えた。

知らないはずがなかった。結婚してソウルに仕方なく住むことになったけど、10年経っても私がソウルが別に好きじゃないこと、彼ほどよく知っている人はいない。

Day2 美ら海水族館、そして久しぶりの再会

次の日は宿から近い、美ら海水族館へ向かった。美ら海水族館は日本の本土や、ソウルにはみられない規模の大きい水族館だ。

ここの名物といえば、ジンベイザメ。

水槽のジンベイザメを見て、夫は言った。
「こんな大きなサメなのに、水槽の中で一生を終えるのはどういう気分なんだろう、海は広いのに。」

「案外楽かもよ。水槽の外は危険でいっぱいだし、ここにいたら食べ物にも困らない。水温もいつもちょうどいい。快適じゃない?」と私は答えた。

ソウルに閉じ込まれる窮屈さを知る夫と、自国を出た大変さを知る私。私たちの着眼点はやっぱりどこか違う。

その話を聞いていた娘は
「私は水槽暮らしがいいな。でもいつでも広い海に行ける水槽がいい。」

そうか、私たちは人間だから、2つのいいところを得られる選択肢を見つければいいのか。

娘は考えが自由で、環境に縛られない。それは恐らく2つの国で「学校」という社会生活をすでに送った経験があるからかもしれない。日常的に2つの国のアイデンティティにも悩んでいることを時々口にする。

美ら海水族館のジンベイザメ

その後、沖縄に住むアメリカ人の友人と再会した。彼もまた娘と同じ、小学2年の娘がいる。

大学時代、母校の交換留学生だった彼。夏休みに1週間だけ大学のマッチングプログラムを利用して実家にホームステイをしてくれて、それからお互いの結婚式に出席するような仲になった。私にとってはアメリカ人のお兄ちゃんみたいだ。彼は卒業と共に沖縄に渡り、日本人女性と結婚。今では沖縄でマイホームを建てて4人の子供のパパになっていた。

娘たちは、会ってすぐ意気投合。これからも2国間の狭間で、悩むことも多いだろう娘に、こういう環境をプレゼントできる縁を作ってきた、今までの自分にどこか感謝した。10年経った今でも変わらないこの良縁が、いつか何かの助けになるかもしれないと思った瞬間だった。

大切にしよう。今度は絶対、なくさないように。

エメラルドビーチで子供たちが遊ぶ写真

振り返ればエメラルドビーチがそこにある。2つの国を跨いだ生活をしているせいで、これからも想像もできないことが起こるかもしれない。でも、悩んだら、またこの場所に戻ってこようと心に決めた。

沖縄の海にはそう思わせてくれる何かがある。


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