ねむねむ日記~思い出すのは、普通で特別な日々~

こんばんは

こんばんは。はじめまして。
nagomiと申します。
4月から大学を辞めて、フリーターになります。
自分の凹凸などはこちらの記事を見ていただけると幸いです。

日記を始めて2日目

「日記を始めてみたい!今まで三日坊主だったけどがんばる!!」
と言って、さっそく忘れて、現在深夜の12時半。

ねむてぇ。けど書くしかねぇ。

というマイナススタートな2日目。
どうやって持続力は保てるのか、教えて欲しい今日この頃ですわ。

青春のピンポン5

私の青春は、小学校の頃だと思う。

小学校4年生ぐらいから、毎朝、男子4人と登校していた。
ちなみに、わたくしnagomiは女子である。
すごく異端なグループだった。

メンバーは、運動能力高めのやんちゃ系なんだけど、それぞれ下に兄弟がいるのでわりかし空気が読める男子が二人。優等生で優しくて一人っ子でいじられキャラ男子一人。ゴリラの見た目をしており、空気は一切読めないタイプだが、何も恐れない系男子一人。そして私。

そしてこの5人はうちの母からピンポン5と呼ばれていた。
毎朝、うちの家でピンポンダッシュをするからだ。
ピンポンが壊れるんじゃないかっていうくらい連打する日もあれば、
ピーン…。あれポーンが来ないぞ!なんていう日があったり。
3年ほど毎朝飽きずにやっていた。

思いやりはいつまでも

小学5年生の夏過ぎかな。いじめがあって、私が「学校に行きたくない!」と泣くようになった。
それでも、ピンポンは毎朝鳴った。
迎えに来てくれた。
学校行きたくないのに無神経な、と思う人もいるだろうが、
彼らなりの思いやりだと思う。

居場所はあるよって暗に教えてくれていたのだろう。
それを信じて、私は保健室まで登校できた。
一言も教室に行かない理由を訊かなかった彼ら。
のちのちの話にはなるが、彼らはいじめられて学校に行きたくないという理由を知っていた。
でも、あえて言わなかった彼らは小学生ながらに真の優しさを知っていたのだろう。

小学校を卒業しても、近くに住んでいたので毎年花火したり、遊んだりと学校は違えど仲良くしていた。
LINEがつながったときは、深夜まで通話をしたものだ。

今、私を含め3人は当時の家とは違う家に住んでいる。
連絡も昔ほど取らなくなった。
でもお互いにお互いを心配している。
そしてお互いがお互いを尊重している。

唐突のLINE

一昨日くらいに、ピンポン5のLINEグループにメッセージ。
一人があそぼ―と言った。
来年には就職で他県に行くらしい。

コロナだったり、都合がつかなかったりと3年ほどそろって顔を合わせていない。そんな中でも、連絡がきたのは素直にうれしかった。

青春がよみがえる、そんな1日がもうすぐあるのかと考えるだけで、毎日が愛しく思える、そんな日でした。

また、ピンポン5の話はしようかな。
腐るほどあるし。
それではこの辺で、おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?