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山口市小郡には年号地名が集まる⁈ 地名の雑学#2
はじめまして。
三度の飯より地理が好き
せい!しょうなごんと申します。
前回の続きで、山口県の県庁所在地、山口市小郡には年号地名が何故集まっているのか。
("令和"のつく天然由来の地名を探してたのは内緒)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142101155/picture_pc_640707756e8026dab8ec84cf478b5a63.png?width=800)
平成は右下維新町の右側あたりです。
ちなみになんですが、あれから昭和町がないかくまなく探してみたところ
小郡東部に昭和通り、また椹野川にかかる昭和橋(昭和4年[1929年]建設)がありました。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142100749/picture_pc_f1ac25a7fef23737781360c6748be98c.png?width=800)
まさに、
年号が揃う町、小郡
ですね!
地名って、その土地の様を表した自然的な地名(沼津、川口、岡山など)や歴史上の人物や物事が関わる歴史的な地名(銀座、御器所、安針塚など)、合併した複数の自治体の字を合わせて作られた合成地名(大田、小美玉、福津など)最近では元々あった悪い意味を無くして縁起のいい名前に変える瑞祥地名(ほしみ、平和台、五月が丘など)…etc
他にもいろいろとあるわけなんですが…。
いろいろ自身で調べてみると、この地域の地名は
段階的な瑞祥地名
っぽい事がわかってきました。
なんじゃそりゃ、って思った皆様。
自分が勝手に作った言葉です、すみません。笑
結論を先にまとめると
“街の発展に合わせて年号を冠した地名ができた”
ということなんです!
ここからは埼玉大学教授の谷謙二氏が作られた地図閲覧サイトの「今昔マップ on the web」を片手に、小郡の地名がどのようにしてできたのかを探っていきます。今昔マップon the webは、自分にとって今では街の調査をする際に欠かせないものとなっています←
地理好きの方には、本当におすすめのサイトです!
まずは、明治32年(1909年)の小郡周辺の地図です。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142099787/picture_pc_ba0f4fca7e49a49441fb72da4e80588e.png?width=800)
小郡の街は椹野川の三角州上にできた平地の交通の要地にできたことがわかります。
宿場町を貫く山陽道が、小郡の主要道となっています。この道が明治からある通りであり、この先の名前付けはここを基準としたのでしょうか。
続いて、小郡に鉄道が開通した後の昭和2年(1927年)。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142148793/picture_pc_65edfadee9ebb0289ceaa8b28ddeba9e.png?width=800)
昭和橋が見て取れますが、小郡に繋がる道もなく、文献には昭和4年建設とあったので完成予定だったのかも…?
また、山陽道の1つ右側、①で表した駅前まで伸びる道はこの頃には大正通と呼ばれていたそう。
次の昭和26年の地図では、①の道沿いに大正通の名前が確認できます。
また②付近で途切れていた昭和橋から昭和通りが市街地まで繋がり、昭和の主要道として君臨しました。←
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142150478/picture_pc_4906673b3244b75d78d68e6be359379a.png?width=800)
長くなってしまったので、こちらは中編にして、続きは後編としてまた書きます!
昭和から平成、令和にかけて、この先どのように年号町ができていくのか。また、小郡だけ残ったのは何故なのか…調査していきます。
もし興味を持っていただけたら、続きを見ていただけたら嬉しいです!
せい!しょうなごんでした。
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