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産後クライシスからの脱却 : そういえば、私は乳がんだった③

その夜、夫にどう話したのか、、。きっと悪性である事以外はうまく伝えることができていなかったと思います。

私のつたない説明を聞いて夫は、「もっと早く言ってくれたら、、」と言いました。

「言えなかった。」

とは、言えませんでした。


そもそも、しこりがあることを話したのも検査を受けた後でした。

三男を出産後、私は産後クライシスに陥っていて、夫婦の仲はあまり良いものではありませんでした。夫は何度も歩み寄ろうとしてくれていましたが、私はそれをどうしても受け入れることができませんでした。

頭ではこんな状態ではいけないと分かっているのですが、どうしても身体が拒否反応を示します。

そのうち後ろから肩をポンと叩かれるだけでも、ビクッとしてしまい、家の中でも夫に背中を向けないように注意を払うほどになっていました。

嫌いな訳じゃありません。どうしてそうなるかも分かりません。

心と身体のギャップに私自身が戸惑い、うまく言葉で伝えることができませんでした。

そんな私の態度に、いつしか夫も不機嫌な日が増え、ますますお互いの溝は深くなりました。なので、しこりに気づいた頃には、何でも話し合えるという夫婦関係ではなくなっていたのです。


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数日後、2人で説明を受けに行くと、先生は検査結果を見せながら、ステージ2bの段階であること、手術にて切除が必要なこと、手術に向けていろんな検査が必要であること、などの説明をしてくれました。

いろんな質問は夫がしてくれました。その一つ一つに先生は、丁寧に答えてくれます。私は二人の会話をじっと聞いていました。

自分のことではありますが、自分で理解するのにはタイムラグを必要とします。夫が私より先に理解をして、その時間の隙間を埋めてくれることは、とてもありがたく、気持ちが楽でした。


ただ一つだけ、

腫瘍が大きいので、左胸の全摘が必要と言われた時、みんなで私を見ました。

「あ、全部切っちゃってください。」

すぐにそう答えました。

先生は申し訳なさそうな顔をして、「また再建もできるからね」と言いましたが、私は自分の胸に未練はありませんでした。

確かにもっと早く検査を受けていれば、乳房を残すことができたのかもしれません。でも、今はそれを悔やんでも仕方ないし、腫瘍が綺麗さっぱりなくなってくれるなら、それで十分だと思いました。


そして何より、、『手術をして治す』という目標ができたことは、私たち夫婦にとっては固い結束ができた瞬間でした。


もちろん、不安はあります。乳がんは治るんだろうか、転移はしていないだろうか、子供たちはどうしよう、、。

弱った心はどんどん悪い方に傾いていきます。この数日、不意に涙が流れる事もしばしばあり、子供たちに見せる笑顔もぎこちないものになっていました。

でも、そんな私を夫はきちんと受け止め、大丈夫だと言ってくれました。それは、今まで拒否し続けていた私の心を軽くするものでした。


もう、嫌われたのではないかと思っていたから。

今まで受け入れることができなかった自分が苦しかったから。


皮肉なことに、乳がんになったことによって、私は長年に渡る産後クライシスから開放されたのでした。


つづく。





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