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心に傷を負ったとき

心に傷を負ったとき、あなたならどうしますか。

すぐに手当てをしますか。
自然に治るまでじっと待ちますか。
さらに深く傷つけますか。



「たすけて」

誰かにそう言えたのなら、私の人生はもっと違っていたかもしれない。

幼い頃から溜め込んだ「たすけて」は、いつから痛みを感じさせなくなったのだろう。その傷は手当てをされることも、時間とともに治癒することもなく、光の届かぬ海底で泳ぐ魚が目を失ったようにどんどん退化していった。

消えたい。

小学生の私は『消えたい』と思っていた。
女は馬鹿だと嘲笑しながら罵る父と、ヒステリックな罵声と体罰によって支配する母、そして時折嫉妬をぶつけてくる姉にほとほと疲れていた。

どうすれば消えることができるのだろうか。

そればかり考えていた。歩道橋の真ん中で、足元を流れる車を眺めながら、ここから飛び降りれば消えてなくなるのだろうかと何度も何度も思った。

しかし同時に消えてなくならないことも理解していた。その場からふわりと飛んだ私の身体は、見知らぬ誰かの車にあたってゴムボールのように弾み、次の瞬間には地面に激しく叩きつけられ、ごろごろと回転したあとに動かなくなるだけだ。

それは別にいい。

でも見知らぬ誰かの人生を壊してしまうのは気が引けた。その人に罪はないのに、私が勝手に飛び降りただけなのに、一生罪悪感を抱えて生きていく誰か。いや、生きていくとは限らない。私を避けようとしてさらに事故を起こし、怪我をしたり亡くなる可能性もある。そうなれば、もっと多くの人が心に傷を負う。

だから飛び降りれなかった。手すりの上からぎゅっと首を伸ばして、ここから落ちても消えてなくならないんだと途方に暮れた。それは死への恐怖でも、自分への言い訳でもなく、ただ「人様に迷惑をかけてはいけない」という母の教えを忠実に守っているだけだった。

自分より他人の方が大事だった私は、自分の痛みに鈍感だった。『何か』がおかしいと思っても、その『何か』が分からない。人の痛みや悲しみは想像できるのに、自らの痛みや悲しみは想像できず、見知らぬ誰かが不幸になっては可哀想だと思い止まった。


傍若無人に振る舞う父と、それに従う母。

私の家はそれが普通だった。十代後半になって、自分の家庭環境の異常さに気付いたとき、私の心の傷は大きく開いた。パックリと割れた傷口からはドクドクと血が溢れだし、身体のあちこちから痛みを発する。その痛みに悲鳴をあげながら、私は自ら新しい傷をつくった。

「たすけて」

痛みを感じるようになった心を傷付けることで助けを求めていた。ズタズタに切り刻まれて瀕死の状態である方が生きている自分を認識できる。そうやってどんどん増えた傷の癒し方など、私には分からなかった。

「たすけて」

そう言えなかった。言える人がいなかった。言いたくなかった。

「たすけて」

私以外の人に私の苦しみを背負わせたくなかった。背負えないと思った。その人が苦しむ姿を見たくなかった。

いつまで経っても私は「人様に迷惑をかけてはいけない」という母の教えを忠実に守っている大馬鹿者で、真っ暗な海の底で彷徨い続けた。

いや、違う。

本当は怖かったのだ。
人の優しさが。

怖くて怖くて震えた。たった4文字の「たすけて」が持つ威力を、私以外の誰が知っているのだろう。優しさに甘えて身を委ねた瞬間、光の届かぬ海底まで引き摺り込む力を持った言葉を、どうして大切な人に向かって発することができるのだろう。

「誰にも言いたくないことはあるよね」

口を噤む私に痺れを切らした人はそう言った。私はその言葉にほっとしながらひどく落胆し、その人と一緒に居れる喜びを感じながら、別の場所で自分を粗末に扱って傷付けた。そうやって無茶苦茶なバランスをとらないと地面に立っていられなかった。



「困ったらすぐに教えてくれます」

先週、小学校の個人懇談で先生から言われた。人より足りないものが多い三男は、その足りないものを他人の力に頼って補う。私が言えなかった「たすけて」を躊躇なく言える三男に安堵の微笑をもらす。

人生を返せとは言わない。
時間を戻せとは言わない。

結婚して自分の家族ができて、温かいご飯を食べてゆっくりとお風呂に入る。そのあたりまえの生活を邪魔しないで欲しいだけだ。

「たすけて」

あなたが心に傷を負ったとき、そう言えればいいなと思う。痛みを感じ、血が滲む前に手当てを受け、時間が経つとともにその傷口が消えてなくなればいい。

幼いときに受けた傷は癒えない。
でも、もう増やす必要はない。

今、心に傷を負ったとき、私にはすぐに手当をしてくれる人がいる。「たすけて」と言える人がいる。それだけで怖くて怖くて仕方なかった優しさが、身体中に沁み渡り私の心を強くする。

過ぎた日々は戻らない。あの時の私はやっぱりあの時のまま記憶に残る。だから未来を歩む為にここに言葉を連ねる。誰にも言えなかった過去を、こうやって形にして徐々に手放していきたい。

痛みは与えられるものでも、与えるものでもあってはならない。
優しさは与えられるものでも、与えるものでもあって欲しい。

そんな未来がこの先も続いていけばいい。『連鎖』が生じない為に、『連鎖』を生じさせない為に、私ができることをできる限りしていくにはどうしたらいいか、これからもずっと考えて生きていこうと思う。



#記憶の引出し




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