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毎日お弁当の続き

お弁当を作っていた。毎朝作っていた。

それはうちには男子高校生が2人と、ミニバスの試合で週末がほぼ埋まる小学生が1人がいて、平日だろうが休日だろうが関係ない男子達の腹を満たす為、あと10分寝たい身体に鞭を打ってベットから起き上がり、玉子を割る音で夢の世界から召喚され、ソーセージを焼く頃には「あかん、間に合わんやないか!」と正気に戻るという、決して誇れない朝のルーティーンではあるのだけど、それでもこの一年近く、私は人生で一番お弁当を作ったと思う。

お弁当の為に起きて、お弁当の為に買い物をして、お弁当の為に夕食メニューを考え、お弁当の為にご飯を多めに炊く。

日々、お弁当。
脳内、お弁当。

月に20kgの米を消費し、海苔と梅干しとおかか昆布を切らすことなく、玉子は常に2パック常備し、冷凍庫の半分近く冷凍食品が占め、さらにその冷凍食品の半分は『自然解凍OK!』な開発した人々に足を向けて眠れないほど有難い商品なのだけど、とにかく私は自分の時間とお金をかけて毎日お弁当を作り続けた。

そうやって生活がお弁当に占領されるようになったのは、昨年の春、高3長男が県外の大学を受験すると決めたからだった。

県内の大学を受験すると決めていた長男が、志望校を変えたのは去年の3月末。友達と旅行に行った先で、その大学の門の前に立った時、自分の居場所はここだと感じたらしい。

しかしその大学を目指すと決めた時点で、長男は半袖で富士山登頂を目指すほどの軽装で、受験に必要な装備を揃えるには今の倍以上、昼も夜も食事の時間ですら勉強に打ち込まなくてはならず、休日も塾に通う彼にとってお腹が減ったらすぐに食べられるお弁当は必須だった。

だから私も毎朝起きておにぎりを握り、玉子を割り、ソーセージを焼き続けた。まぁ半年すぎたあたりからは、塾をサボる日もあったし、何回起こしても起きなくて家でお弁当を食べる日もあって、それが続くと「起きんのなら作るかボケ!!」とボイコットした日もあるけれど、概ね毎日作っていたと思う。多分。


そんな長男のお弁当生活が終わったのは2月半ば、高校が自由登校になってからだった。塾は平日14時からしか開かないので、家で昼食を食べるようになったのだ。しかしもともと朝が弱いのと、「とりあえず受けとくわ」と受験した私立が受かったことに気が抜けたのか、二次試験までの間、彼はほとんど勉強しなくなった。

「なんかさ、もう何を勉強したらいいかわからないんだよね」

大量の参考書も25年分の過去問も今やるべきことと感じない、本番が近づくにつれて生活は乱れ、ゲームをする日々になった。

「後悔だけせんようにな」

ここまできてという言葉は飲み込んだ。受験に対する不安なのか、やりきったという喪失感なのか、それは私には分からない。ただ自分の気持ちは自分でどうにかするしかないし、親が言って嫌々変わったところで意味はない。後で後悔したのなら、後悔したことを学べばいい。言い訳は自分自身にすべきであって、私にされても困るのだ。だから私は100ぐらいの言葉を飲み込んで見守った。



「受かったら寿司、落ちたら焼きそばで」

合格発表の日は、三男のミニバスの大会だった。帰りが遅くなるので夫に夕食を頼んだものの、当日までメニューは決まらず、12時の発表次第で寿司か焼きそばでと告げて家を出た。

この日の大会は、一回戦から他県1位の強豪チームと対戦するという勝敗の読めない試合で、それが長男の結果とダブるようだなと苦笑いした。

「五分五分。でも後悔はない」

2月26日、二次試験を終えて帰ってきた長男は私に言った。

二泊三日、初めて一人で新幹線に乗って、初めて一人でホテルに泊まった。同じ高校の子がたくさん受験しているので不安はなかったけれど、普段と変わらないそっけないラインの返信からは心の内は読み取れず、私は帰ってきた彼にどんな言葉をかけたらいいのか悩んでいた。

しかし迎えに行った駅のロータリーで、長男がスーツケースをコロコロと引っ張りながら真っ直ぐ歩いてくる姿を見た瞬間、私の頭に浮かんだ言葉は、

『ようやったな』

という一言で、少しはにかんだ笑顔でドアを開けると、堰を切ったように話し出す長男の表情は、やりきったという満足感に満ちていた。

「理科も難しくってさぁ。時間全然足りなかったし」

面白いものを見つけた幼い子供のように、これだけ勉強してもまだ手も足も出ない問題があるんだという嬉しさで、「楽しかった!」と連発しながら喋り続ける長男は、きっと底知れない探究心の持ち主なのだろう。それは私の子供であっても私にはない彼だけが持つ長所で、内容はさっぱり分からなかったけれど、「落ちても後悔はない」という言葉に1ミリも嘘は感じられず、私は心の底から安堵した。

「ハーゲンダッツあるよ。クッキーアンドクリーム」
「やったぁ。ありがとう」

その日の夕食後、長男は大好物のハーゲンダッツをいつもより美味しそうに食べた。



決勝まで勝ち進んだ三男のチームは全国大会に出場したチームを破る大金星を上げ、5年生の三男は応援に徹していたのだけど、最後の最後、1年間負け続けた相手に勝って優勝した6年生の素晴らしい試合をベンチから見て、「来年はボクたちも」という気持ちがより強くなったと思う。

試合後、夜の練習がある三男を体育館まで送って、シャトレーゼに寄ってアイスを買った。チョコバッキーと、ちょっと悩んでチョコバッキー・ザ・プレミアムも買った。

「ただいま。ご飯ありがとう」

リビングは焼きそばのソースの匂いが充満していた。夫が作る焼きそばの具材は、豚肉とキャベツだけというシンプルなものだ。

「周りの友達も落ちたみたいで、みんなと予備校行きたいんだって」
「うん、ええんちゃう」

しばらくして2階から降りてきた長男に、「アイスあるよ、チョコバッキー・ザ・プレミアム」と言うと、「何それ?食べたい」と言って冷凍庫をガラリと開けた。

「おいしい」

そう呟く長男はどこかホッとした表情で、寿司でもハーゲンダッツでもなかったけれど、とても満足そうに味わって食べていた。

「残念やったけどな、ようやったな、ほんまに…」

普通に話すつもりだったのにポロポロと涙が溢れて止まらなかった。長男はびっくりして、「えぇ?なんで??」と言い、私は「違うねん。これは違うねんで」とティッシュで涙を拭きながら、

「発表の時、おらんかったから。試合やったから。だからな、それはごめん」

と謝ると、長男は小さく「うん」と言って少し鼻を赤くして、テレビの方を向いた。

「予備校のさ、説明会に行きたいんだけど」
「うん、一緒に行くわ」

長男は来年も同じ大学を目指すという。理由は「楽しそうだから」。
二次試験の問題も、実際に学内に入った雰囲気も、綺麗な街並みも、全てが好きだという。

でも受験するのは来年が最後だとも決めている。だから私立もきちんと考えて受ける。だからもう一年目指したい。

「いいよ」

その決意に私も夫も反対はない。自分で決めたのなら、あとは応援するだけだ。



もう一年、長男の受験生活は続く。

受験は落ちたけれど、失敗したとは思わない。むしろこの一年勉強してきて、自分が苦手だと思っていた国語と英語の面白さが分かってきて、「違う学部でもいいな」なんて言い始めている。

そうやって新しい自分を発見できたのだから、無駄なことなんて何ひとつなかったのだと私は思う。また長い一年が始まるけれど、少なくとも今の長男は富士山を目の前に、半袖ではなくダウンジャケットぐらいまで装備できただろう。あとはリュックに必需品を詰めて、体力をつけて登るだけだ。


そして私は、、
約2ヶ月間空いたお弁当生活がまた始まる。

お弁当の為に起きて、お弁当の為に買い物をして、お弁当の為に夕食メニューを考え、お弁当の為にご飯を多めに炊く。

それはちょっと面倒だなと思う反面、まだ側で世話を焼ける嬉しさもあったりして、母親としては割と複雑ではあるのだけど、でも数年後に長男が大学を卒業した時には、この功績を一人で称えたいと思う。

さぁ、あと一年頑張りやがれ!





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