感情の宝石箱
うちの次男は繊細で人見知り、細身で色白で薄口醤油より薄い顔をして、クラスでも目立つ行動は一切しない、今ゆる「真面目だけど存在感の無い子」だと思っていたのだけど、どうやら私の認識とはちょっと違っていたらしい。
それは先月、公立高校の合格発表日のこと。
前日、私は夢を見た。
ダイニングテーブルに次男と並んで座り、慎重に受験番号を入力し、顔を寄せ合って合否を確認する…という場面で目が覚める。それを3回繰り返した。
「どっちやねん」
夢は夢でありながらも、3回も見ると腹が立ってくる。どうせなら合格バージョンと、不合格バージョンを見せて欲しい。そして不合格バージョンは、すぐに切り替える次男と、落ち込む次男の2パターンを見せて欲しい。それなら3回見ても納得できる。
しかし夢は夢であったが故に、結果は分からぬまま朝を迎え、モヤモヤした気持ちで小学生の三男を送り出し、一通りの家事を済ませてからノートパソコンをテーブルに置いて、一人ぽつねんと座った。隣に次男は居ない。
声を掛けようか…
二階を見上げて立ち上がったものの、まだ合格発表まで30分もあると思い直し、キッチンで紅茶を淹れる。
そっとしておいた方がいいんだろうか…
第一志望校である公立高校を受験後、次男は落ち込んでいた。受験当日の自己採点では自分の目標点をかろうじて超えていたものの、周りの友達の点数が遥かに高いことにショックを受けて、「これ無理だわ…」と塞ぎ込んでいた。
もともと合格は厳しいと本人も承知の上で受けた高校だ。仲の良い友達からの「一緒に入学しよう!」という言葉に押されて、志望校を変えずに受験した。落ちる覚悟はある程度出来ていたはずだったが、やはり受かりたい気持ちは強く、点数が伸び悩んだ得意の数学で、「どうしてこんなミスをしてしまったんだろう」と悔やみながら発表までの日々を過ごしていた。
私はそんな次男の話をただ黙って聞いて過ごしていた。
きっとどんな言葉を掛けたところで次男の不安は消えないし、言葉を掛けることで私自身の不安が増しそうだったからだ。
しかし合格発表当日に限っては無言でやり過ごすわけにはいかない。結果はどうであれ、次男に掛ける最初の言葉の重大さは計り知れない。
どんな言葉を掛けるべきか…
それを何日も前から悩んでいた。しかしこれといった言葉は思い浮かばず、結局当日になってしまった。だから同じ夢を3回も見たのだろう。少しぐらいヒントをくれたらいいのに夢は無情だ。
10分前になっても次男は降りてこなかった。
自分で確認するのかもしれないと考えて、私は冷たくなった紅茶を飲み干した。そして室内をウロウロしながら、なかなか進まない時計の針を1分ごとに確認する。
3分前、再び二階を見上げてからリビングのドアを開けた。次男は一人で確認したいのかもしれないが、私は一人で見るのが急に怖くなった。どんな結果であれ、一人より二人の方がいい。二人で一緒に見たいと思った。
「もうすぐ発表やでー!部屋で見るん?」
階段下から声を張り上げるが、返事はない。私は階段を昇って、やはり別々に見た方がいいのかなと考えながら部屋のドアをノックする。
「お母さん、下で見るけど…」
そう言いながらドアを開けると、そこには白い顔をした次男がパソコンの前に座って…ではなく、あれ?どこいった??
ベットですやすやと眠っていた。
嘘やろ。
「は?寝てんの!?あんた、もう発表やで!!!」
思わずバーン!とドアを開け放つと、次男はハッと目を覚まして間近にある時計を掴んだ。
「あと2分や!信じられへん!!はよ起きて!!!」
私の叫び声で目が3倍ぐらいに開いた次男は、掛け布団をバサッと放り捨ててシャキーン!と立ち上がり、頭をブンブン振って思考回路の電源を入れた。
「マジで寝てたん!?すげーな、あんた。アハハハ!!」
緊張の糸が切れると人間は笑うらしい。
「アハハ!!」と笑いが止まらぬまま階段を駆け下り、二人で並んでパソコンの前に座る。
「受験票は?」
「あぁ、部屋」
再び部屋に戻った次男はすぐに降りてきて、「受験票どっかいった」と言うものだから、今度は「部屋片付けんからや!!」と怒り狂って、スマホに保存してあった受験票の画像を探す。
受験番号を確認して、ようやくクリックした時にはすでに発表時間から2分過ぎていた。
「繋がらない」
「繋がらないね」
出遅れた。
全く開かない画面を何度もクリックする次男。もどかしい。しかし顔を寄せ合って画面を凝視する姿は夢で見た光景と同じで、ある意味あれは正夢だったんだなと思う。まぁ夢の次男はパジャマを着ていないし、髪も整っていたけれど。
「混んでるんやわ」
「えー」
もっと早く起きんかい。
「また少ししてから確認したら?」と言う私を無視して、次男はクリックをし続ける。すると私のスマホがピロリーン!と鳴り、夫からの通知を告げた。
『見たよ』
先に見るな。
大急ぎで『まって』『ネットつながらない』と送って、それ以上の通知を拒否し、次男に「お父さん、もう見たらしいで」と言うと、「はぁ?なんで?」とイラつき始めるものだから、
いや、お前が寝てたからや。
と、心の底から思ったけれど、そこは大人なので我慢した。
「繋がった!!」
ようやく開いた画面に釘付けになる。受験した高校を見つけると慎重にクリックして、自分の番号近くまで一気にストロークして止まる。
「デン、デン、デデン」
耳障りな効果音を発しながら、ゆっくりと進めていく次男はどこか楽しそうで、私はさっさと見せてくれと思いながらも、その楽しさに包まれてふふっと笑って、ちょっと息を止めてから大きく目を見開く。
「あった!」
番号は、あった。
スマホとパソコンの画面を行き来させて、もう一度よく確認する。
「あった…ね」
「あった!やったー!!」
万歳して「イエーイ!!」と叫んだ次男に、私も万歳して向き合い「イエーイ!!!」と叫んでハイタッチすると、バチン!と心地良い音とともに、次男は丸文字の「へ」のように目を細めて満面の笑みを浮かべた。
その「へ」の笑顔が本当に可愛くて可愛くて、私はいつもは子供の前では泣かないと決めているのだけど、
「よかったなぁ。よかったなぁ」
とボロボロ泣いて、テッシュを10枚くらい一気に掴んで鼻を噛んでまたボロボロ泣くと、なんか今度はちょっと恥ずかしくなってきて、「お母さん、涙でるわ」と泣き笑いの赤ら顔で言うと、「えへへ」と次男もちょっと照れながら笑った。
「はぁ、よかった…」
ほっとして椅子にもたれる。この一時間であらゆる感情を出し尽くした私の顔はぐちゃぐちゃで、とても人様に見せれるものではなかったけれど、私にとっては一生忘れられない、まさしく「感情の宝石箱や!」と明言できる顔であったことは間違いない。
*
そして昨日、高校の入学式が行われた。
小雨の中、最寄り駅に降り立つと、一人の男の子が次男に駆け寄ってきてポンと肩を叩いて、
「おはよう!一緒に行こう!」
と並んで歩き出し、私はその子のお母さんにご挨拶をして名前を伺うと、それは「一緒に入学しよう!」と言ってくれた子で、前を歩く二人の背中を見つめながら、次男が無事に約束を果たせたことが嬉しくて、雨に濡れる葉桜がとても綺麗だと思いながら校門をくぐった。
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