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この「生きにくさ」を私のせいにしないで。

落ち込んだり傷ついたりした自分を癒すため、励ますため、そんな心と寄り添うために本を読むようになりました。
自分自身を癒すためにも本屋という空間を求め、そしていつしか同じような思いを抱える方達に本を届ける側になりたいと思うようになりました。

そんな私の核には「生きにくさ」がずっとありました。(今でも抱えていますが。)

その「生きにくさ」の正体を知るために、私は本の中にヒントを求めていました。
心理学や時には哲学のようなジャンルの本を手にとるようになったのもそのためです。知りたかった。どうしても。
人を変えることはできない。だから自分を変えなければと必死だったのだと思います。
私の生まれ持っての性質・個性、環境要因について、そして心地よさを感じるものについて考え、気付き、それについて誰かと話し、そしてまた気付く。ずっとこの繰り返しを行なっていました。ぐるぐるぐるぐる繰り返すことで、その渦はどんどん中心に向かい、深いところ深いところへと進んでいく。
それに伴い自分を少しずつ慰め、許すことができていたはずなのに、どうしてだかあと一歩、分厚くて見えない壁のようなものにぶつかってしまう。
厳密にはそれが壁なのか、道に転がる障害物なのか、いつの間にか足に括り付けられしまった重りなのか、いまいち正体がわからない。でも、それがあるせいで自分を完全に解放できないのがわかる。
「仕方ない」と、自分をどうしてだか諦めさせてしまう何かであると感じていました。

そんな時、大切な棚主仲間に勧めてもらった本をきっかけに、私はその正体に気がつきました。

「自分も傷つきたくないけど、
他人も傷つけたくないあなたへ」 
著:アルテイシア

「ジェンダーを学ぶと生きやすくなるよ」

 これが本書で一番伝えたいことである。
 私は46歳の作家で「腕白でもいい、長生きしたい」と元気はつらつに生きている。
 一方、若い頃は「自分はなぜこんなに傷つきやすいんだろう、生きづらくて無理ぽ」と虫の息だった。会社員をしていた20代の頃は、上司や同僚から「いちいち気にしすぎ、繊細すぎる、そんなんじゃやっていけない」とよく言われた。
 そのたびに「あたしったら社会人失格のみそっかす」と自分を責めていた。
(中略)
 そんな私を救ったのが、フェミニズムだった。フェミニズムの本を読んでジェンダーを学ぶことで「足を踏まれたら痛いと感じるのは当然だ」「私が繊細すぎるんじゃなく、踏む側が悪いんだ」と気づいた。

「自分も傷つきたくないけど、他人も傷つけたくないあなたへ」 著:アルテイシア
「はじめに」より抜粋

それぞれが好きなものを選べる社会、「男/女は〇〇するべき/するべきじゃない」と強制されない社会を目指すのがフェミニズムである。

「自分も傷つきたくないけど、他人も傷つけたくないあなたへ」 著:アルテイシア
「CHAPTER1-1 ジェンダーを学んで生きやすくなろう 」より抜粋

あぁ、この正体はジェンダーの中にあったんだ。自分だけじゃなかったんだ。自分のせいじゃなかったんだ。
そしてこの本によって何より自分を救ったのは、「私は怒ってもよかったんだ。」という気づきでした。

言葉にうまくできないけれど、固く結ばれていた硬い糸がホロホロと解けていく。そんな感覚がありました。
そして気がつけば、私はこの本を読みながら声を出して泣いてしまいました。もしかしたら、これが自分を少し解放できた瞬間だったのかもしれません。

男性女性に問わず、多くの人にこの本を届けたいと心から思います。

  • 「フェミニズムってなんか怖い。」
    → そんなあなたに届けたい。私も最初はそうでした。でも大丈夫。怖くないから。ただ差別をなくそうと声を上げているだけのことだから。

  • 「フェミニストってうるさい、鬱陶しい。」
    → そんなあなたに読んで欲しい。根本を知ればわかるはずだから。傷つけられた人が怒るのは当然だし、声を上げられない人がいるからフェミニストは声を上げているのだから。

  • 「言われなくてもわかってる」
    → そんなあなたにこそ読んでほしい。無意識の暴力に気づいてほしい。

  • 「こんなこと知らなくても、徐々に変わっていくから大丈夫だよ」
    → そんなあなたに読んでほしい。そう言えるのはあなたが特権を持っているからであり、傷つく人をただ眺める傍観者に他ならないと気づいてほしい。

  • 「私は大丈夫。傷ついてなんかいない」
    → そんなあなたにこの本を贈りたい。助けたいから。

自分自身を癒すためだけにこの本を届けたいのではありません。
この生きにくさの背景には文化や社会構造、幼少期からの刷り込みがあるのだと、多くの人に気づいてほしいからこの本を届けたいんです。
それに気づかず無意識に使い投げかける言葉によって人を縛り、誰かを傷つけているのだと気づくためにこの本を届けたいんです。
私の、私たちの、過去の、今の生きにくさを、私たちのせいにされたら困ることがあるんです。

フェミニズムは主義主張ではありません。
「流行り、廃り」で終わらせてもいけません。なぜなら差別をなくすためのものだからです。
また、これは誰かを責めるためにあるのでもありません。
共に気付き、省み、行動するためのものだと私は思います。
かく言う私も様々な場面において被害者だっただけでなく、ひとりの加害者でもあったと気付かされました。
無意識の暴力の恐ろしさに、私自身反省が絶えません。
でも、見て見ぬふりなんてもうできないんです。

世の中は変わっていくものではありません。
一緒に手を携えて、目の前にある小さなことから変えていくもの、変えていけるものです。

自分を癒すために本を読むこともあります。
でも、当事者の癒しのためだけにしてはいけない本もあると私は強く思います。
ちょっとそれだけ、この場を借りてお話しさせてもらいました。
フェミニズムについて多くの人の誤解が解け、生きやすい世の中へつながっていくことを願っています。

凪の間

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