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過ちを改められなかった日

「子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う」


子はこのように仰られているが、それは’’子’’レベルにならないと難しいんじゃないかなと思う。


凡人のわたしは、過ちて、改められず、また過ちをする。そんな繰り返しで、今日まで人生やってきた。


というか、過ちても改められないのが人間なんだろうなと思う。だから、詐欺被害はなくならないし、脱税や不倫のニュースもなくならない、戦争だってなくならない。


そんな過ちを改められなかった日のことを振り返る。



🌝…



あれは、一昨日のこと。いつものように、晩ご飯を食べ終わり、母と散歩に行く時の出来事だった。


晩ご飯を食べ終わると、体幹やスクワットなどの5分ほどのミニトレをしてから、散歩に行くというのが、散歩までのいつもの流れ。


ただ、たまに、ミニトレが終わっても、母が食器を洗っていて、すぐには散歩に行けない日がある。そういう時は、母の食器洗いが終わるのを待ってから行くのだけど、一昨日の私はどうにも待てなかった。


それも、すぐに終わりそうな感じではなく、まだかかりそうだったので、余計に待てなかった。「先、行ってていい?」と、はやく散歩に出かけたい意思を母に告げ、玄関で靴を履き始めた。


すると、母は食器洗いを途中やめにして、「5分ぐらい待ってくれればいいのに・・・」と言って、急いで散歩に出かける準備を始めた。


「5分も待てない」と私は言った。自分勝手でよくないとわかっていながらも、一度この不機嫌モードに入ると、自分でも止められなくなる。


「それじゃあ、一緒に歩けなくなるじゃん」と言う母に対して、「それはそれで仕方ないよね」と心にもないことを言ってしまった。


こうなってしまったのは、「生理前の情緒の乱れ」ということにさせてください。


歩き始めてからも、母は、私よりも食べ終わるのが遅いため、食後から時間が経たずに歩き始めると体にも良くない。食後30分を空けるのがいいとフィットネスの先生も言っていた。と言った。


食後30分も空けていたら、遅くなるから、そんなに待てない。そもそもそれは、運動する場合はって話じゃん。散歩なんてただ歩くだけなんだから、30分も空けなくても大丈夫だと、私は言った。


相手の立場に立てば理解できるようなことも、ムキになって自分の意見を押し倒そうとするのが、不機嫌モードの特徴の一つでもある。


結局、母が食べ終わる時間が遅くなるのは、私が会社から帰宅して、会社に持参していた水筒を先に洗って、乾燥をかけているから、遅くなっているということだった。


今後は、水筒は自分で洗って、乾燥をかける。そうすれば、母も食べ始める時間を早めることができて、その分食べ終わる時間も早まるので、食後すぐに歩き始めるというのは解消されるだろうということで話はまとまった。


まとまったものの、いい気分はしない。気まづさは残る。不機嫌モードもすぐにサッと引けるわけでもなく、「またやってしまった・・・」と心はモヤモヤ。



散歩から戻り、お風呂の湯船の中で、散歩での出来事を振り返る。


どう考えても、自分勝手だった。


自分優先で、自分のペースに合わせらなれい場合は、相手を突き放す。私には、昔からそういう節があることを自覚している。


そこまで自分のペースにこだわる必要なんてないのに、気がついたらムキになっていて、冷静じゃなくなっていて、自分のペースで動かないと気が済まない。


だから、無理矢理にでも相手に合わせてもらう。それも、自分の気持ちを相手にちゃんと伝えて、とかではなく、強行突破。自分に合わせてくれないなら、私は私は勝手にします、スタンス。ほんとに良くない。


「あーあ、また自分勝手なことをしてしまった」と反省。母に、心ない言葉を言ってしまったこととか、母の気持ちや立場を全く考えず、ただただ自分勝手だった。


ちゃんと謝って、伝えたかった。お風呂を出てから、母に謝ろうかと思ったけど、謝ることはできなかった。


で、昨日。


謝るなら、散歩するタイミング、と思っていた。「昨日は、自分勝手だった。ごめん」その一言でいいのに、それがなかなか言い出せない。


謝ることってこんなに難しいことだっけ。ちょっとしたごめんなら簡単に言えるけど、反省度合いが大きければ大きいほど、「ごめん」の言葉って勇気がいるなあと思った。


何回か言おうとしたけど、別の話をしてしまって、結局、伝えることはできなかった。


「今日は、満月かなぁ。でも、左端が少し欠けて見えるから、昨日が満月だったのかな」

「あー、ほんとだ。左端が欠けて見えるね」


それよりももっと伝えたいことがあるのに。「昨日は、ごめん」って、ただその一言でいいのに。


昨日の気まづさもなくなってるし、この件については、きっと謝ることはなく、時の流れとともに、忘れ去られていくのだろう。


「なんとなく大丈夫そう」とか、「この人ならわかってくれるだろう」とかって、自分にいいように都合をつけて、過ちを改めず、日々を過ごしていくのだろう。


でも、そう思っているのは、自分だけで、相手は悲しい思いをしていることは棚にあげて。そういう積み重ねから、人間関係って崩れていくのかもしれないな。


私も、こうやって自分の身勝手さを、今は反省しているけど、どこかで「母だから大丈夫」と思っている。だから、また身勝手な自分をぶつけてしまうのだろうなと思う。


たとえ、そうなったとしても、「ごめん」の一言を伝えることができれば、また変わってくるのだろうけど。


「ごめん」って伝えるのって難しいなあ。今日の散歩の時、言えるかなあ。言えないだろうなあ。







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