あのころ隠した凶暴さ
「『うわーーー!!!』って叫んで暴れてしまいたい」
社会人の1年目。
職場に少し慣れてきたころ、たまにそんなことを思っていた。
役所の中の委託事業者。私たちの立場はちょっと微妙だ。
周りで働くのは公務員だ。同年代の若手職員、30代から50代のベテラン世代、定年後の再雇用の人に至るまで、各年代に均等に職員がいる。公務員さんというのは、いろんなキャラクターの人がいつつも全員に共通する雰囲気がある。先の不安がない者に共通する余裕からくるものだろうか。面白い人もいるのだけれど、全員がある大きな枠の中にいる感じがする。
毎日一緒に働く相手として、役所の方々はとても良くしてくれていた。委託事業者だからと下に見る感じはなかったし、私の仕事を認めてもくれていたと思う。
けれど私たちは常にアウェイだ。わかりやすいところでは所属が違い、お給料は公務員よりは安く、先の安定も少ない。
僻んでいたわけではなかった。むしろ、相談業務をやりたくて今の会社を選んだ私は、やりたい仕事ができることに満足していた。それに、生涯の安定と引き換えに窮屈な組織の中で生きなくてはいけないなら、公務員になりたいとも思わなかった。この考え方は、最初の頃からぶれたことはない。若いから言えることなのかもしれないとは思う。
けれど、自分の居場所があるようなないような感じは常にあった。
公務員じゃないのに役所に私の席がある。ピラミッド型の組織の中で、組織図の外側にいるような、底辺にいるような、微妙な立場。
ムズムズというか、もやもやというか、イライラもあったかもしれない。
そんな感情がときどき湧き上がって、暴れたくなることがあった。
注目を浴びるのが苦手だし、職を失いたくもないので本気で実行しようと思ったことはない。
けれど、「もし叫んで暴れまわったら」という妄想は、やることが途切れると頭を駆け巡った。今思えば仕事量が少なくて暇だった。
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ざわざわと賑わい、あちこちで電話が鳴る。呼び出されて受付に向かう職員が行きかう。そんな事務所内で、ふらっと私が立ち上がる。
トイレにでも行くのだろう。そう思って気に留めず、パソコンをカタカタと打つ同僚を尻目に、私は突然叫び出す。腹から出す、力いっぱいの声で。
周りの声がぴたりと止まる。周囲の視線が私に集まる。
息が途切れると、また吸って叫ぶ。机の書類を舞い上げる。コピー機を蹴飛ばす。机に乗って走りまわる。私は簡単に取り押さえられる。
同じ会社の上司が飛んでくる。「なんや、どうしたんや」。焦った声。私はけろりと答える。「あ、ちょっとイライラしただけです。気が済みました。すみません」。静まったままの周りの人たちから、ひそひそと話し声が聞こえ始める。
私は構わず自席に戻り、パソコンに向かう。気味の悪いものを見るような、周りの視線を感じながらも冷静な表情で、軽く口角を上げてキーボードをたたく。ふう、すっきりした。しばらくは集中して働けそうだ。
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現実にこんなことをしたら、これできれいに終わるわけはない。
きっとすぐに私は上司から呼び出され、怒られるか仕事を失うか、もしくは病院へ連れていかれる。役所の人からも「あいつはどうなっているんだ」と苦情が入って、上司は平謝りに謝ることになる。
それは面倒くさい。周りの人に恨みがあるわけでもなければ、仕事が嫌なわけでもない。ちょっとしたもやもやを晴らすためにこんなトラブルを起こすことはない。
だから私は妄想を膨らませながらも黙々と働いた。
場所を変えて今も同じ仕事をしているけれど、あの時のような衝動はもう起こらない。イライラすることはあっても、そこにいること自体にもやもやとした不自由さを感じることはなくなった。
私は変わらず役所の中ではアウェイだし、なんとなく居場所があるような無いような、微妙な感じはたしかにあるのだけれど。
ここで仕事をすることに、身体が慣れたということだろうか。
仕事を覚えるのと引き換えに、窮屈さを感じる感性が死んだのだろうか。
身体の内側に渦巻く、反発心や凶暴さやもろさ。そういう仕事に不必要なものを切り捨てて、職場に順応する体質になっていくことが、「仕事ができるようになる」「大人になる」「丸くなる」ということなのかもしれない。
これは必要で正しい成長。けれどなんだか寂しく感じた。
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