君の5分間を僕にくれないか【エアギターと出会って人生が動いた話】
よくきてくれたね。
そこ、座って。
5分だけ、時間をもらえないかな。
絶対損はさせないから。
きみさ、一発芸、もってる?
そうそう、宴会とかで急に回ってくるやつ!
手品とか、モノマネとか、なんでもいい。
面白くなくてもいいんだ。なにかやることが大事だからさ。クオリティは二の次で良い。
・・・ない?
そうか。そんなに悲しい顔をしないで。
気持ちはわかるよ。
こんなことを聞いておいてなんだけど、僕もそうだった。
人から一発芸を求められるのがほんとに嫌だったんだ。
小さいころからプライドばっかり高くてさ。自分がアホになることが嫌だった。そういう空気になるとさっと席をはずしたりして。
今日はね。
そんな僕が、一発芸どころか、ライブハウスのステージで300人以上の聴衆を前に自分の渾身のネタを披露するようになった(さらに、そのジャンルで日本ランキング2位に入っちゃった)話をするから。
ちょっとだけ聞いてよ。
「あの一言が人生を変えた」ってこと、ない?
あれは2015年頃のことだったと思う。
きっかけは、仕事で出会った一人の青年だったんだ。
当時から僕は企業の経営をお手伝いしたり、地方自治体の計画策定をしたりする仕事をしててね。仕事でいろんな地域に入り込んで、町の人とお話をする機会が多かった。
彼の協力がどうしても必要だった僕は、突破口を探して飲みに誘った。
お互い慎重に出方を伺う、ちょっと居心地の悪い飲み会。何気なく「趣味は?」と尋ねたことが空気を変えた。
「エアギター」。
こう答えた彼の眼が急に輝きだした。
初めての挑戦の時の高揚。世界大会で感じた熱気。
身振りが大きくなり、半ば飛び跳ねながらエアギターを実演してくれたんだ。どんどん大きくなっていく声を耳にしながら思った。
「ああ、この人はほんとにエアギター好きなんだなあ」って。
正直に言うね。最初は無理に話をあわせてるだけだった。
エアギター?
あのお笑い芸人が一発狙って一時期流行ったやつでしょ?
大の大人が、そんなに真顔で話すものなの?
・・・て。
けれど、相手は重要人物。
相手の懐に入り込むには、いったん全力で振り切らねば…
「そこまで好きなら、エアギター大会をこの町に誘致しましょうよ。僕も選手として挑戦するんで。」
言っちゃった。
仕事上イベントの企画・運営の経験はあるものの、「選手として」だなんて。
でも、この一言が、僕の人生を変えちゃったんだ。
衝撃の第一印象。
で、さっそく彼が出場するっていう日本エアギター選手権 名古屋地区予選を見に行った。(ちなみに僕は鹿児島在住なので、エアギターの公式戦を見るためだけに往復30,000円かけて名古屋まで行ったことになる)
そこで、はじめてエアギターについてちゃんと知ることになった。
・世界共通の公式ルールが確立された競技であること
・地域での予選大会➡各国代表を決める国内決勝大会➡世界大会へと勝ち上がっていく仕組みがあること
・公式戦には審査員がならび、1人1人のプレイを審査するとともに辛口の評価コメントが発表されること
・全国に数百人規模の愛好者が存在し、中には10年、20年の長いキャリアをもつエアギタリストが存在すること
・地区予選を勝ち抜いて、全国大会で優勝すれば日本代表として(招待枠=つまり無料で)フィンランドで開催される世界大会に参加できるということ
…などなど、ただのエンタメイベントではなく、ちゃんとした競技で、毎年世界一になりたい多くのプレイヤーがしのぎを削っている世界だった。
そして何より、エアギタリストたちのパフォーマンスがすごかったんだ。
生まれて初めてみたガチもんのエアギター。
エントリーは15人くらいだったかな。
出場者がそれぞれ1分間に編集した曲に合わせてさ。
見えないギターをかきならし、ステップを刻み、観客を煽り、ダイブする。
こちらは代表的な大技のひとつ「ジャンプ弾き」(日本エアギター協会 宮城マリオ幹事長の模範プレイ)
大技とかもあってね、見えないギタ―を放り投げたり、歯で弾いて見せたり、ピッキングする手を風車みたいに大きく回したり、首の後ろにギターを回して背面で弾いてたり。
客席は大技が飛び出すたびに「ひょーう!」「いえーい!」「ふぅー!」と煽るし、プレイごとに審査員が超冷静な表情でポイントを告げる。
(公式戦は5名の審査員が点数とともにプレイへの評価を伝える。世界エアギター協会が定めた公式ルールでの評価項目は①オリジナリティ ②リズム感 ③カリスマ性 ④テクニック ⑤芸術性と「エアーな感じ」。この5項目を念頭に、総合的に審査する)
エアギタリスト達は、審査員の評価に一喜一憂してる。中には涙目になってるプレイヤーも。
もうね・・・。
ちょっと尋常じゃないわけよ。
圧倒的な、非日常。
普段の僕なら、「ああ、はいはい。そういうことね。」と勝手に分かった気になって終わるか、「あ、ちょっとこの人たちには近づいちゃだめだ」となって距離をとるか。このどっちかだ。
でもね、この日はちょっと違ったんだ。
こっちの想像の枠を軽々と飛び越えて、意味不明な熱量を見せるこの競技。
彼らがどんな世界を見てるのか、知りたくなった。
で、僕も思わず手にしちゃったよね、「マイ・エアギター」。
そして・・・、沼に落ちていったんだ
エアギタリストとして初めて公式戦に出場したのは、2016年だったかな。
ステージに立って、自分の曲がかかる1分間の記憶がまったくなくて、気が付いたら終わってた。
でね、僕のプレイは、まあいいの。
予選を2年目のルーキーがさくっと突破できるもんじゃないってことも、このころには知ってた。
だって、5年選手、10年選手もたくさんいるわけよ。
大手自動車メーカー販売店の整備センター長がシフト管理をギリギリのところで調整して毎年出場してたり、全国区の番組で活躍してたお笑い芸人さんが持てるすべてのネタを1分に詰め込んでプレイしたりしてるの。
ステージに上がると急にスイッチが入ったようにキレのある動きで、見えないギタ―をかき鳴らす。
この1分間のために、日常を積み上げていることが伝わる。
僕が普段ふれることのない類の人たちだった。
彼らと話してると、なぜか元気になる。
なんでかなと思っていろいろ考えたんだけど、ひとつだけ気づいたことがあって。
ああ、ここは安全地帯なんだ、と。
日常の全てをいったん脇において、お互いのこれまでの練習や試行錯誤のあとを見せ合い、認め合う。
エアギターの前では皆が平等なんだ。
(公式戦の最後には演者と審査員が一緒になってステージ上でエアギターをかきならす。最高にピースフルな時間)
年収とか仕事とか学歴とかに関係なく、努力した人、知恵の限りを尽くした人が純粋に評価され、認められる。
こんな世界、なかなかないよなーって。
それで、どんどんのめりこんでいったよね。エアギター。
いつのまにか、エアギターを中心に日常が回り始めた。
仕事の移動中もエアギターの構成を考える日々。新幹線の中でギターソロ部分の練習をしていたら、隣のお客さんから「貧乏ゆすりしないでください」と注意されたこともある。
予選があると聞けば北は北海道から、南は奄美大島まで、もちろん自費で、衣装も音源もすべて自分でそろえて。
(日本エアギター協会 HP ※2019年の札幌地区予選はまさかの雪像にて)
最初はかすりもしなかった予選でも、徐々に結果が出るようになってね。
ついには予選を突破し、日本大会で上位に食い込むところまできたの!
2018年には日本ランキングで2位に入るところまできた!
順風満帆にみえるでしょ?
それが・・・ね。
そう上手くはいかないんだ。
見えてきた、壁。
やっていくうちに、一つの限界を知った。
そうそう、ここで一つ、大事なことをいうのを忘れてた。
こんなに語っちゃってる僕自身は、もともと音楽が、とくにロックがそれほど好きではなかったということ。
小さいころからそれなりにお勉強といわれるものは得意で、運動も好きだった僕が唯一苦手だったもの、それが、音楽。
音楽ってなんなんだよ。
楽器?無理無理。ああいうのは文化系の草食男子に任せるわ。
…と、恰好付けてごまかし続けていたものの、高校に入ったくらいの頃から仲間内でカラオケにいくようになり、自分自身の音痴をどうごまかすかを考えて盛り上げ役に徹するようになった。(今でも、基本的にカラオケは嫌い。できればいきたくない)
やっぱり競技が競技だからねえ。
音楽への造詣が深いというのは、エアギターをするうえで圧倒的に有利。
全国大会とか、世界大会となると、審査員も当然生粋のロック好きが並ぶことになるし。
世界的に著名なロックバンドのギタリストの動きをコピーしていくことは、基礎点に大きく影響するわけ。
僕が見せかけの歯引き(ジミ・ヘンドリックス)や、背面引き(Tボーン・ウォーカー)を見せたところで、それは付け焼刃の知識プレイにすぎないぞ、と。
諦めなかった。そしたら、見えてきた。
音楽性じゃ勝負できないと思った僕は、エアギターにいろんな素材をかけ合わせていく方向でいくことにした。
エアギター×○○。
たとえば、「エアギター×けんだま」ってことで、ステージ上でギターを投げている間にけん玉を披露してみたり。
「エアギター×映画」ってことで、「Back to the Future」の一場面をエアギターで再現してみたり。
「エアギター×新元号」ってことで、菅官房長官による令和の新元号発表の模様をエアギターで表現してみたり。
でもね、なかなか結果がでない。
思えばエアギタリストとして一番苦しい時期だったなあ。
(こちらは公式戦でエアギタープレイ中にけん玉を披露する筆者様子。もう自分自身のことながら、わけがわからない。ちなみにこの試合の会場はまさかのお寺だった。)
最初にも話をしたように、僕はもともとエンタメとは縁遠い人間だったからね。人が何をおもしろがるか、ってことを考えるのがあまり得意じゃなかったんだ。
考えて、ステージで試して、審査員に酷評されて。。。
そんなことがしばらく続いた。
壁を乗り越えたのは、2019年(昨年)の奄美大島予選だった。
僕はここで、奄美大島の独自の文化 島唄のテイストを活かして、エアギターの構成を組み立てられないかを考えてみた。
つまりエアギター×島唄。
ここまで聞いてくれて君も理解してくれてると思うけど、エアギターってのはもともとロックソングが中心でしょ。
ちょっと挑戦的になるけど、島唄のアコースティックなメロディを前半において、後半のヘビメタとのコントラストで勝負しよう。
そう思って、考えに考え抜いて、構成してみた。
結果はね、、、ようやく高得点をゲット。
予選突破という形で、評価もついてきたけど、それよりは自分の狙ってきた形がはまったことの方がうれしかったなあ。
え?
決勝はどうだったのかって?
決勝大会の会場となったのは九州で最も古くから営業している老舗百貨店「ふるさとのデパート 山形屋」だった。勢いに乗った僕は、今回も地元の文化×エアギターの構成で挑戦した。
山形屋さんのCMソングをアレンジしたオリジナル構成でエントリー。地元枠で審査員に選ばれた山形屋の社長に媚まくりの設計がウケて、会場からは満場の拍手喝さいをいただくことができた。
正直な話、やりきった。
(2019年の決勝は地元鹿児島の中心部で開催!知り合いもたくさん応援に来てくれる中、会場をめっちゃ沸かしながらも5位。くやしいけど、世界の舞台への切符はとれなかった。)
決勝のステージも含めて、その土地の音楽を基軸にエアギターの構成を組み立てるのが自分のスタンスだなって見つけることができて、それがすごくうれしくてね。
自分が本当に大切にしていることが確認できたよろこび。
自分がなぜ、この地の企業経営者を応援する仕事をしているのか。県内各地の自治体を後押しする仕事をしているのか。
それは、その土地に根付く文化や歴史を現代につなごうとしてるってことなんだな、って。
僕は自分がいま仕事として向き合っていることの意味を、エアギターを通して知ることになったんだ。
エアー×〇〇の可能性
去年をもって、公式戦に出場する競技エアギタリストを引退した。
残念だって?
ありがとう。
でも、イベントオファーとか、エアギターワークショップの講師とかは今も定期的に依頼が来るから、エアギターから離れたわけじゃないんだ。
それ以外にも、エアギター×〇〇っていう方向性を追求してきた中でみえてきた可能性もあってね。
例えば、僕の住む鹿児島県の湯之元温泉という町では、毎年エアギター大会を開催するようになった。温泉街=湯気=エアーということで、エアギターは相性が良いだろうというこじつけ。
でね、最初は「エアギター? そんなふざけたものを持ち込むな!」とかって、地元のおっちゃんたちにお叱りをうけたりもした。
そんなおっちゃんたちは、僕がしつこく世界のエアギタリストたちの鬼気迫るアーティスティックなプレイ動画を見せたり、エアギターがいかに素晴らしい文化なのかを熱弁することで、少しずつ変化していった。
例えば、エアビール。これはこの町の居酒屋のおっちゃんと話をしていて生まれたものなんだけどさ。
普通のビールより泡=つまりエアーが3倍のビール。もちろん普通に頼むより量が減る分は損するけど、エアビールをオーダーするとロック好きの店主との楽しい会話が付いてくる。
最高じゃない?
あとは、これ、エアみくじ。
宮司さんの遊び心で設置されたおみくじで、何も入っていないこの箱に手を入れて、あたかもおみくじをひいたかのようにエアでおみくじを抜き出して、宮司さんに見せると「大吉!」とか「中吉!」とか、その場で言ってもらえるの。
このほかにも、歴史ある和菓子屋さんが「エアどら焼き」をつくってくれたり。(お察しの通り、あん無しの、単なるパンケーキが2枚重なっただけのものを商品化してくれた!)
ちなみに、この「エアどら焼き」には後日談があって、お客さんがいろんな素材を勝手に挟んで食べるスタイルが話題になった。「いちごジャムは合わない」「生クリームは当然合う!」などなど。そんな中「アイスを挟むと美味しいぞ!」という話が出た翌年、この和菓子屋さんの正式ラインナップにはアイス最中が並ぶことに。※エアー × 〇〇は、新商品を生み出す起爆剤にもなった!!
で、思ったよね。
エアギター=安全地帯論は、いろんな地域やビジネスの可能性を広げる!!って。
いま紹介したお店の皆さんも、普段は競合店との厳しい戦いと向き合ったり、日々変化するお客さんのニーズに振り回されたり、まあ大変なのよ。
でもね、エアギターコラボ企画の作戦会議を始めると、おっちゃんたちの目、一気に輝きだすよね。
「え?いいの?やっちゃう?やっちゃおっか!」って。
「よし、やっちゃおう!エアギター!」って。
この一言が、日常の窮屈な世界をふっと飛び越える安全地帯へのアクセスワードなんだ、って、思ったよ。
そう、意識を向ければ、実はチャレンジできる世界はすぐ目の前にあるってことなんだなあ。
(どこにでもある普通の温泉街の公民館がエアギター大会で満員御礼になる。この客層の年代を見てほしい。高齢者とエアギターの相性の良さよ。)
君に一番伝えたいこと
さて、この話もそろそろまとめに入る。
僕が今日、君に一番伝えたかったことは。
「君のそのエアギター、いつまでさび付いたまま置いてるの?」ってこと。
日々暮らす世界を一歩踏み出すことは、不安なことだと思う。
けれど、世の中は、社会は、意外と温かい。
僕はね、エアギターに触れることで、挑戦する人と、挑戦を支える人の存在を知ったんだ。
お互いの挑戦を純粋なリスペクトで支えあう、安全地帯。
人は、安全地帯でこそ、挑戦できる。
もちろん君が今、すでに挑戦のただなかにあり、多くの人のサポートをもらっているなら、その道で挑戦を続けてほしい。
もし、すでに挑戦に疲れたり、最初の一歩を踏み出せずにいたりするなら、エアギターに挑戦してみてはどうだろうか。
きみの挑戦を、心から待ってるよ。
…あ、ちょっとまってね。
Twitterの通知音が鳴った。
ん?
・・・えっ?!!
世界大会中止!!!!
まじかああああああああああああくそおおおおおおおおおおおおお
ふざけんないい加減にしろやクソコロナウイルスふざけんなああああ
まじかー。
まーーーーじーーーーーーかーーーーーーーーーーーー!!!!
くうぅぅぅぅぅ。。。。
それでも、明日はくる
申し訳ないね、取り乱してしまった。
でも、大丈夫。2020年が無理でも、2021年。それが無理でも2022年。
エアギターは逃げないから。
いつか、君が全身全霊で自分を表現したいと思ったら、そのときはいつでも遊びにきてくれよな。
ここまで聞いてくれたお礼に。
ほら、きみの足元のエアギター。
話をしながらしっかりメンテナンスさせてもらったよ。
チューニングは万全だ。
ん?
練習場所がない?
大丈夫。
音楽を聴ける場所ならどこでも練習スタジオだ。
STAY HOMEとの相性だってすごくいいんだぜ。
じゃ、また会おう。
次は、そうだな、ステージの上で再会を!
最後までお読みいただきありがとうございました。
ネタのようですが、上記、ほとんど事実です。私はエアネスサイゴウという名前で2016年から競技エアギターの世界に踏み込み、いまは鹿児島県エアギター協会の会長として普及啓発に取り組んでいます。
このnoteを読んで、少しでもエアギターに興味を持った!というあなたは、ぜひ日本エアギター協会のTwiiterをフォローしてみてください。
そして、コロナ禍が落ち着いた先の未来で、ぜひぜひエアギター大会に遊びにきてください。
過去にはエアギター関連の記事も書いていますので、よろしければこちらもぜひ!
・・・。
と、ここで終わる予定だったのですが、最後に、文中でもターニングポイントとして記載している奄美大島でのプレイ動画を貼っておきます。
音量注意。
ああ、早くステージでおもいっきりエアギターをプレイしたいなあ。
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