#3 エッセイの定義がスンと腹落ちした一文
どうですか?
腹落ちしませんか?
わたしには、とても理解できた一文でした。
ブログ、エッセイ、コラム…。
何がどうちがうのか、特にブログとエッセイに関してはいまいちピンときていなかった。
文章を書くことがすきとか言っておきながら、これまで何年ものあいだ、書いてきた記事を人様にひけらかしてきておいて、まだそんなことを言っているのかと思われそうだけど…。
つい先日のこと。
「エッセイたるものは自分語りなんだ!」
と、捉えた日があった。
以前からエッセイの連載をしたいと思っていたことに気持ちが傾いた。
思い立って記事を書いた。
ぜんぜんなってない…。
今思えば、これではまだまだエッセイとは言えない。
そう感じた。
もっともっと、奥深いところにある、状況や感情をからめながら、事細かに書くもの。
それがエッセイというものなんだって。
今朝、スマートフォンに現れた。
この直後、まだ一行だけしか書いていなかった、ほぼ日5年手帳に筆を走らせた。
文章が若干おかしなところはあるが、原文そのままを書いてみる。
「エッセイとは自分語り」というところで着地していたわたしにはとても新鮮だった。
同時に書き方を教わった気になった。
一ヶ月以上ものあいだ、すごく楽しみに待っていた。
その商品がやっと手元に届いた。
Instagramの買い物アカウントにすぐさま投稿しようと、写真を撮りはじめた。
実際に使うとこんな感じですよ、と。
数量限定の真鍮の文鎮はすぐに完売したのだから、通常の文鎮もさぞかしみんなが気にかけているだろう。
だからわたしがどんな物なのかをお見せしますよ、と。
ところが…
期待していた分、落胆した気持ちは大きかった。
使えない…。
すぐ箱にしまったのは言うまでもない。
そんな残念な気持ちを日記に綴ったのだった。
今日は閏日。
2022年からはじまっていて、今年4年目になるわたしのほぼ日5年手帳の今日のページは、両開きの全部が2月29日のページになっている。
いつもはその1/5くらいのスペースしかないのに、文鎮が使えなくて残念だった気持ちであっという間に埋まった。
日々書いていると、そこまで書くことがないように思う日もあるけど、ほんとうはそうじゃない。
友達に話したとて、スッキリしない気持ちが残るのと同じで、書いたところでモヤっと感が残る…。
それは心底にある自分の気持ちを書き(吐き)出せていないから。
ほんとうは…のところの、肝心な部分までたどり着いていないから。
わずかなピンポイントの部分だけを深めて書く。
だから5秒のことを200字…いや、もっと多くなる場合だってあると思う。
それを公開しなければ日記。
公開すればエッセイになるんだろうなって。
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