ヒーロードッグ

僕らは、気づかないところで誰かを救っているらしい

「nagatouchさんの記事を見て勇気をもらいました!」

ありがたいことに、
こう言ってもらえることがたまにあります。

「nagatouchさんの言葉で
自分でもできる気がしてきました!」

なんて、若干ディスられてるっぽい
お褒めの言葉をもらうこともありました。

それ自体はとても嬉しいし、ありがたいことです。
・・・ただ



正直なトコロ、
(誰かを救おう!)(人様のお役に立てるように!)
という願いを込めて書いているわけではありません。

単純に僕が言いたいことを記事にして
なぜかしらんけど勝手に誰かが感動しているだけ。

もっと厳密に言うと、
「わあすごい発想!」とか「天才!」とか
「100年に一度の逸材」などと
崇め奉られたいがために書いているだけです。

承認欲求を満たしたいだけの
カッコつけた記事でしかありません。

極めて純粋な、私利私欲100%記事です。

それにもかかわらず、僕らの記事って
誰かの人生に影響を与えている可能性があるんです。



・・・思い返せば。

僕は小学生のころ割と勉強ができる方で
特に頑張らなくてもテストは満点取れるような
絵に描いた優秀な生徒でした。

(なんでみんなできないんだろう?)

と疑問を内に秘めながら
退屈で仕方がない授業を受けていたほどです。
きっと天才だったのでしょう。

僕は別に誰かに対抗しているわけでもなく
自分の結果だけを気にしていたんですが

そんな状況でも、
「お前には負けないからな!」
と勝手にライバル心を向けてくる友だちがいて
意図せず誰かに影響を与えていたみたいです。

イケメンや可愛い子が
ブサイクなヤツから無様で救いようのない
敵対心を向けられてしまう感じと
似ているんでしょうか?

僕らヒーローに、敵は付きものです。



脈絡もなくヒーローになっている感じ。

音楽や書籍とかって、そういう一面があります。

(誰それの音楽に救われた!)
(あの歌詞に励まされた!)

そんな風に影響されても
本人にはその瞬間がわかるわけではありません。

励ましたい・慰めたいなど
何かしらのメッセージを込める場合があっても
「あ!今、栃木県在住のnagatouchさんを励ましたぞ!」
と気づけるわけではないです。

おそらく

作品と本人は完全に分離していて、
作品そのものがエネルギーを持っています。

楽曲や記事1つ1つにエネルギーがあって
それを誰かが急所に当てて
一人で勝手に恍惚としているってわけです。



・・・というわけで、

僕らは意図せず意識もなく
誰かの恩人に勝手になってしまっている
可能性があるってことです。

僕らの何気ない一言でハッとして
元気になれた人・勇気づけられた人
わからないだけで、意外といると思います。

特に、noteやブログ、SNSで発信している人は
マジで謎のタイミングで命を救っているかもしれません。

誰かがあなたの記事で感動して涙している頃、
あなたはトイレで気張って格闘しているかもしれません。
誰かが記事に感化されてライフスタイルを一新しようとしている頃、
あなたはお尻をワシワシかきながらNetflixで映画観てるかもしれません。

僕は今、この記事をベッドの上で
寝間着のまんま書いています。

現代のヒーローなんてそんなもんです。



言いたいことを言えば
それが価値になっていくんだと思います。

「誰かを幸せにしたい!」
「文章で人を感動させたい!」
そんな”SNS用建前ドリーム”は仕舞っておいて

『言いたいこと』『訴えたいこと』
を文字や他の媒体に表現したらいいと思います。

プレッシャーを感じることもないし、
かしこまって襟を正す必要もないし、
全身全霊で思いをぶつけるのも重いだけです。

愚直に。スマートに。無頓着に。語呂悪し。



励ましのメッセージ大歓迎です。
お待ちしています。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。

nagatouch

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