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ノベリスト 第1話

第1章 梨花

その1

  夢というものが現実になり日常になったとしても、生活そのものが変わるというものでもない。

  しかし人は現実というものの切なさに耐えられないから、夢を見るのかもしれない。

  島根の田舎の高校にいた頃の私の夢は芥川賞を取ってベストセラー作家になって印税生活をすることだった。

  それを当時の同級生の彼氏に話したら、

「お前の言ってることは所詮夢物語なんだよ。俺なんか小説なんて読んだこともない」と一笑に付された。結局、彼とは別れることになったが。

  私の故郷には、都会の人が憧れる海や山や川がある。自然が豊かなのはいいことかもしれないが、年頃の若い女性が着飾って歩くような華やかな街はなかった。

「早く東京に出て、夢を叶えたい」

  私は無意味に広い田舎町の一軒家の自分の部屋で、そう強く思いながら思春期を過ごした。

  それから母校の進学校を卒業して上京した。

  私の名前は浅見梨花。青山学院大学文学部英文学科三年生である。

 大学では文学研究会というサークルに入り、先ごろ清流文学社という商業出版社が主催する清流文学賞に投稿して最優秀賞を獲った。

  清流文学賞は純文学系の文芸新人賞で、この賞を獲ることは芥川賞を獲るための一番の近道とされている。

  本を読むのは好きで、小学生の頃から自作の物語をノートに書くことが田舎での唯一の楽しみだった。大学に入り作品を様々な出版社主催の文芸新人賞に投稿していた。

  夏に清流出版社から最終選考残留の連絡を受け、その後原稿の手直しを経て、晴れて受賞となったのである。

  授賞式で私が憧れている作家の岸睦月に声をかけられた。睦月氏は40年前に早稲田大学在学中に「アプレゲール」というセックスと薬物に溺れ刹那的な快楽に身を滅ぼす若者を描いたデビュー作で芥川賞を獲り、それは100万部のベストセラーになった。睦月氏は想像してたよりふくよかでお腹も出ていたのだが、威圧的なところはなく新人の私にも気さくに話しかけてきた。

「どんな小説を読んできたの?」

彼がそう尋ねてきたので、

「ベタかもしれませんが夏目漱石とか森鴎外とか太宰治とか芥川龍之介とか。女流作家だとモーパッサンとか。あと最近では中村文則と伊坂幸太郎と平野啓一郎とか。ジャンジュネやセリーヌやガルシアマルケスやカズオイシグロなんかも好きですね」

「カズオイシグロ、何かイギリスのスノッブを体現していて面白いですね。それでいヨーロッパ大陸の価値観との葛藤も表現されてて」

「大学が青山の英文学科でゼミのテーマが文学とアイデンティティの差異なんです。カズオイシグロや柳美里なんかが話題になってます」

「日本文学のアイデンティティについてはどう思いますか?グローバリズムが進んでるのに片方で保護主義が台頭する世界でアメリカの影響を受けて翻弄される日本という国で日本語で文学をやる理由はあるのでしょうか?」

「私は英文学科なので様々な概念を英語的な文脈で抽象化して日本的な思想に置き換える癖があるかもしれませんが、日本語以外の言語感覚を持った方が日本のことは客観視できるかもしれません」

「あなたは沖縄をテーマにした作品で新人賞を獲ったのですが、そのことも関係があるのかな?」

  清流文学賞を獲った私の「青」という作品は、沖縄の風俗店に勤めてる女性が沖縄戦に散った日本兵の亡霊とともに米兵を次々と殺戮していく物語である。

「日本人のアイデンティティの揺れ、という意味で沖縄という場所は面白い、と思ったのです。日本でありながら沖縄人というアイデンティティとアメリカというアイデンティティとの三すくみであって。本土のそれとは違いますよね」

  彼との会話はとても弾んで、しかも面白かった。やはり私が憧れている作家であり、私が彼に抱いていたイメージ以上だった。

「最近はどんなテーマで作品に向かわれてますか?」

 私が彼にそう尋ねると、彼は、

「日本経済と日本人について考えながら原稿を書いてます。戦後日本は経済大国になって、でも今はその勢いもなくなってて、これから先、日本人が経済以外の価値というか、アイデンティティをどう作っていくのか、凄く興味があります」

「面白そうですね」

 彼は笑顔になった。

「ええ、この世界にはまだ物語にしたいものがたくさんありますから」

  そして私は早速、彼のツイッターをフォローした。

  清流文学賞の授賞式から3日後に、私は彼にダイレクトメッセージを送った。

「先日はありがとうございました。もっと色々お話が訊きたいので、ぜひお会いできませんか?もしよろしければLINEのIDを教えていただければ幸いです」

  そして彼とLINEを交換し、南青山で会うことになった。

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