見出し画像

『地下水道』 8月1日という今日



★今日は何の日? 8月1日という今日
『地下水道』1956年・ポーランド

監督:アンジェイ・ワイダ
脚本:イェジ・ステファン・スタヴィンスキー
出演:タデウシュ・ヤンチャル、デイジー:テレサ・イジェフスカ、ヴィンチスワフ・グリンスキー、ヴラデク・シェイバル

(1)ワルシャワ蜂起

 今日は2023年8月1日。
 現在、日本時間で17時。
 ポーランドはあと9時間後、79年目を迎える、その時を待っています。

 1944年8月1日午後5時、ワルシャワのポーランド国内軍と市民が武装蜂起し、駐留するドイツ軍に対して戦闘を開始しました。
 1939年の第二次世界大戦勃発以来、ドイツによって占領され、もっとも長く辛酸を舐めたポーランド国民の最後の抵抗運動となりました。

 武器も物資も不足するなかで10月2日までの2ヶ月間、抵抗は続きました。

 ポーランド国内軍はイギリスに亡命していたポーランド政府の指揮下に入っていたため、近くまで進撃してきていたソビエト軍はこれを意図的に支援することはなく、アメリカ、イギリスも政治的障害によって、沈黙せざるを得なかったのです。

 ドイツは鎮圧のためならず者を集めた武装親衛隊の部隊を派遣し、兵士や市民の見境なしに虐殺の限りが行われ、ワルシャワは灰燼と帰しました。

 孤軍奮闘で戦い続けたポーランド国内軍は次第に追い詰められ、悲惨な最期を迎えることになります。

 ワルシャワ蜂起というレジスタンスは戦時中にすでに始まっていた東西のイデオロギーによる冷戦の最初の犠牲とも言えます。

(2)下水道の暗闇に消える栄光

 ワルシャワ蜂起を描いた映画は、意外と少ないのですが、ポランスキーの『戦場のピアニスト』にもその様子が背景として出てきます。近年ではポーランド映画『リベリオン』がありました。

 しかし、何といってもワルシャワ蜂起を描いた作品といえば、アンジェイ・ワイダ監督の『地下水道』でしょう。

 蜂起の最終局面を描いたこの作品は、防戦に苦しむポーランド国内軍の敗走から始まり、逃げ場を失ったレジスタンスたちは下水道に入って脱出しようとします。

 映画の後半の下水道でひとり、またひとりと命を落としてゆく様は、暗闇の恐怖と相まってポーランド国内軍の運命の悲惨な末路を描くには十分なものとなっていました。
 
 戦後、東側陣営になったポーランドの映画なので、意図的に蜂起を支援しなかったソ連を表立って批判することはできません。

 終盤の有名なシーン、下水道から脱出しようとする主人公が、やっと外界を目にした時は、敵の真っ只中で、しかも格子に阻まれるている。この格子の存在こそ、ソビエトに対する最大の無言の抵抗表象だったのでしょう。

 東ドイツ公開版はオープニングでテロップが流れ、スターリンが支援の命令を下さなかったと説明されます。

 この映画より3年前に死去したスターリンに責任を押し付けて、ソビエト軍がポーランド国内軍を見殺しにしたことについて説明をしているあたり、当時の東側諸国の政治状況の複雑さも感じられます。


『地下水道』の東ドイツ版DVD

 この映画の抵抗は過去のドイツだけでなく、ソビエトにも向けられているのです。ここから戦後のポーランドの複雑な立ち位置、アンジェイ・ワイダのそれも伺えます。

 特質すべきは、あくまでもポーランド国内軍の視点で描かれていて、敵であるドイツ側の動きや様子は一切出てきません。ドイツ兵の姿もほぼ見えない。

 あくまでもレジスタンス側のドキュメンタリーとして描いているので、敵の姿が見えないのはむしろ、リアリズムを感じます。

 ドイツ軍の遠隔操作の無人爆弾小型戦車のゴリアテが蜂起軍の陣地に近づいてくるあたり、敵側のドイツ軍に人間としての肉体を与えていない演出で、ファシストの残酷性が物云わぬ不気味さを伴って効果をあげていました。

 なまじ、ステレオタイプ的な残虐なドイツ兵とかを見せるなら、この作品は成立しなかったでしょう。

 007シリーズの第二作目『ロシアより愛をこめて』に出演して有名になったポーランドの俳優、ヴラデク・シェイバルのポーランド時代の姿がこの作品で確認できます。『ロシアより愛をこめて』ではチェスの名手といえば、あの人かと思い当たる方もいるでしょう。

 ポーランド国内軍と行動を共にする音楽家という役どころで、印象的でした。
 シャイバルはその後、イギリスへ亡命して、舞台俳優となり映画でも名脇役で活躍します。

 抵抗映画の傑作にして、複雑な政治的命題を持った作品です。

 今日、8月1日という日に始まったポーランドの抵抗。

 それは、いまはウクライナで、同じように繰り返されています。

 『地下水道』で描かれた歴史は、いまも遠い過去の出来事、歴史とはなっていないようにも感じます。

 79年も経て、未だに同じことが繰り返されていることを、今日という日に私たちは映画とともに考えてみるのもいいのかもしれません。

 この映画のラストシーンには、誰もが衝撃を受けることでしょう。
 支配し抑圧する側、それに抵抗する側、その双方に正義はあるのか? それすらわからなくなります。

 戦争の残酷さと悲惨さは、だれにも正義を与えることはありません。

 人間の存在を拒む下水道の暗闇に人間が存在するしかない世界が二度とふたたび再現されぬように、願うより他ありません……

地には平和を

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?