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ライツ カメラ アクション!

僕が生まれたその日、生きていくための意味なんてきっと考えなかった。生まれてきた喜びも感じる暇すらなく、ただただ生きようと必死だったに違いない。本能の赴くままに生きた赤子も、今じゃ会社の愚痴をこぼしながら100数十円の缶チューハイ片手に、どうしようもない毎日を生きているんだから笑ってしまいそうになる。


幼かったあの頃。理由なんていらなかった日々が、いつしか生きるのにも理由を求めてしまう様になってしまった。人間関係、会社でのストレス、等身大で生きる時間がどうやったって少なくなる。ありのままだと生きれない。いつしか普通のフリをするのが上手くなってしまった。不器用なくせに愛想笑いをするのだけは上手くなってしまった。


僕の人生に照明が当たったあの日から、何もかもがはじまった。単純な感情は濁ったり透き通ったりを繰り返して、絶えず変化を繰り返した。素直な気持ちを大切にすればするほど、誰かの言葉の裏側を透かして見てしまう様になった。生きていくってかなり面倒だ。

それでも僕は生きていく。今に意味を見出せなくても幸せだった、あの頃よりも確実に生きにくくなったけれど、幼い頃なかった感情を沢山持つことができたし、そのおかげで人の痛みが分かるようになった。


人生のエンドロールが流れるその日までに、僕はどれぐらい自分の生き方に納得できるだろうか。どうなったら納得なのかは、まだ分からないけれど、きっとこうして文章を綴ることは自分にとって、納得するための材料になるんじゃないかと思う。最近じゃあ、もっと自分の感情を言葉で表現したい!なんて向上心まで出てきて、自分が思ってるよりも僕は文章を書くことが好きみたいだ。

人生は、どう生きたって自分が考えて選択すれば全てが正解である。それがどんな結末になろうとも、死に方よりも僕は生き様が大切だと思いたい。終わり良くても中身が味気ないなんて、悲しいじゃないですか。せっかくこの世に生まれることができたのだから、誰に何を言われようとも僕は、自分らしく生きていこうと思う。




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