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母が更年期だった時

結構ひどかったのかな・・・

今日、高齢者の施設に入所している母の友達のところへ、母を連れて行ってあげました。

二人で楽しそうに話しているのを見て、うちにこれなくなってから、久しぶりに見る二人の笑顔でした。

二人は市場で長いこと向かいのお店の仲良しさんとして働いていました。
うちは魚屋
彼女は乾物屋さんでした(シングルマザー)

お互い市場で稼がせてもらったって話をしていて・・・
「おかしくなったときあったね(笑)あの時はお父さん、息子さんに助けてもらってありがたかった」って彼女が・・・
なんでも、更年期で不安?パニック?になることがあったようで、時々兄や父が彼女を病院に連れて行ってあげてたらしいのです。
「まーちゃん(兄)、連れてってやって!」
アノ時は本当に感謝、ありがたかった~今なら笑い話やけどね、と。

母も「私も夜起きてお父さんに病院連れて行って、って何回もあったよ」
そうなの???
「またか?本当にいくんか・・・」って言われて「うん、行きたい、どうにかなりそう」ってみっちゃん(父)が病院に連れて行ってくれた。
知らなかった・・・
( ;∀;)

「おかしかったときは裸足で、保険証を持ってセブンイレブンに行って、なんかうろうろして帰ったりしよったんよね。今考えてもなんでしよったかわからんのやけど、おかしかったんやろうね、居てもたってもおられんかったんよ」
今の私の更年期と比べたら・・・
母もつらかったんだな。

私が中学か高校のころ、家族で鍋をつついていたら、母が「暑い!ちょっと、あんたたち、こんなに暑いのになんともないと?窓あけなさい!」って真冬ですよ・・・確かに暖房入って鍋だから暑いかもしれんけど、私らはようやく温まって(*‘∀‘)って感じなのに、ひやっと冷気を浴びせられて(>_<)
でも母は「これで涼しくなった~」って言ってて、鍋の時は毎回「またか」って思ってました。
今考えたらホットフラッシュがひどかったんだろうな。
食後でもあるし・・・

何となく寂しそうだからと思って連れてきた施設でしたが、思いのほか話が聞けて、その間私は話には加われないから読書してたんですが、つい、記憶にとどめたく、録音しました。
何年か後に涙しながら聞くことになるのかな~と思ってます。

最近「死」が近くに感じます。

母が居なくなったら私は子供が居ないので一人です。

パートナーはできたけど、う~ん、って感じ。

そりが合わない母ですが(母もそう思ってます)、居なくなるのは寂しいですね。

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