成績より実績を収めることが定石じゃ。
どうも、福神漬けを食べ過ぎて腎臓を破壊した母の息子ナガシマ(@jinnagashima)です。
今日から遡ること7年前、中学2年の夏休み最終日の出来事。
美術の宿題恒例の平和ポスターに頭を悩ませて平和の象徴をググっていた。
鳩たちのクチバシにいくつもの国旗をくわえさせるようなイメージを思いついたあと、画用紙がないことに気づく。
しかし時間は午前0時を回っており、事実上夏休み最終日は終了していた。
家から徒歩30分はかかるであろうドンキホーテまで画用紙を買わなければならなくなったのである。
そしてこんな日に限って両親と喧嘩していた自分は、親に車で送って欲しいなどとはとても言えるような心持ちではなかった。
仕方なく群馬のヤンキーたちがたむろする深夜のドンキへ繰り出す長嶋。そして無事にデカイペンギンマークを発見し店内に突入。
まんじのタトゥーが入ったあんちゃんの腕をかき分けて文房具コーナーにたどり着いた。
天下のドンキだと安心していたが、ここで思わぬ壁にぶち当たる。
提出の規定に沿ったサイズの画用紙が全く見当たらないのだ。
だが長嶋は迷わず少し大きめのB5画用紙を購入し、そそくさと退散した。規定のサイズがなければ切り取って微調整してしまえばいいのだから。
ピリピリしている両親に余計な刺激を加えたくなかったので、ゆっくりと自宅のドアを開け忍び足で自分の部屋へと戻る。
さぁ、図画工作の始まりだ。
セロテープとハサミを巧みに使いこなし、秒速で規定サイズの画用紙を仕上げていった。そしてその勢いに任せて鉛筆で下書きをし、朝の7時まで平和のポスターを描き続けた。
半開きの目をかすめながらそこそこのクオリティに出来上がったポスターを片手に夏休み明けの初登校を迎える。
無事に全ての宿題を提出し切り、美術の宿題を仕上げるために費やした謎の労力にも満足感を感じていた。
しかし、そんな努力も報われず長嶋に与えられた美術の評価は1だった。
正直悔しいという思いはなく、かなり理不尽な思いをさせられたとその時は錯覚した。こんなにも努力が報われないものかと。
だがそれから7年が経ち、大学生ながらもDJやブロガーとして活動する自分を顧みてこう思う。
努力をしたかどうかは自分ではなく他者が決めることである、と。
誰かに認められたいという承認欲求はみんなが持っていて当たり前のものである。
ならば、自分を主張することに関して全責任を負う覚悟を決めよう。
私は努力をしましたとアピールしてもそれが本当に努力に値するかどうかは周りが決めてくれる。
自分の身に起きることは全て自分のせいと認めることは、あなたが今後成し遂げる実績が全て自分の実力によるものであることを証明することにもなる。
成績を気にする暇があれば、実績を積む時間に投資しよう。
学生のうちなんてハズレが当たり前のスクラッチを削っていくような感覚で挑戦しまくるのが定石ではないだろうか。
Everything is my fault.
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