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旅の話.2 ダーウィン②

翌朝、Oさん姉妹がYHAまで迎えに来てくれて、リッチフィールド国立公園へ連れて行ってもらった。車で約2時間、オーストラリア大陸のほぼ中央を南北に走る「スチュワート・ハイウェイ」を南へ。空も大地も広大だった。
そこには巨大なアリ塚群があり、森があり、岩山があり、滝があり、滝つぼがプールになっていた。とにかく広大だった。

数日後、Oさん姉妹が帰国し、僕はM夫妻の家でホームステイさせてもらう事になった。ちょうど家を増改築していて、空き部屋があるそうだ。
近くにN.T.U.(ノーザンテリトリー大学)があるので、ゆくゆくは留学生を受け入れるつもりらしい。

結果的に約6ヶ月間お世話になった。いろいろ学ばせてもらった。

M夫妻は、旦那さんが白人系オーストラリア人で、奥さんはフィリピン出身だった。奥さんは病院に勤務していて、平日は朝から居ないが、旦那さんは自宅を増改築してるので、いつも家に居た。僕もいろいろと手伝った。
M夫妻には2人の娘がいた。姉はツアー会社で働いていて、かつて交換留学で広島へ行ったことがあり、かなり日本通だった。箸の使い方も上手い。
わさびも平気だった。でも得意料理はシンガポールのラクサだった。
妹はまだ高校生で、遊びやバイトやサッカーで忙しく、あまり家に居なかった。クールな娘かと思っていたら案外ひょうきんで、かわいかった。
あと、犬が2匹とインコが一羽いた。
僕の事は息子のように可愛がってくれた。

基本的に毎日英語の勉強をして過ごした。そして、何かあるといろんな所に連れて行ってくれた。港にU.S.ネイビーの空母が寄港するからと、連れて行ってくれたり、友人のトラックドライバーの手伝いとして片道4時間以上のアボリジニー居住区へ鉄骨を届けに行ったりもした。

車の免許も取った。ここでは、まずペーパー試験を受けて、合格すると“仮免許”がもらえる。そして、ドライビングレッスンに申し込むと、先生が車で自宅まで来てくれて、なんと自宅前からレッスン開始。道が広く、人も車もそんなに多くないから可能なのだ。10回くらいレッスンを受け、先生が「そろそろいいだろう」と判断したら、試験官を乗せて運転する"最終試験”を受ける。合格したら運転免許を取得できる。1回目は落ちた。交差点で信号の変わり目で迷ってしまい、急ブレーキで停車してしまったからだ。2回目で合格。計2週間で取れた。(ちなみにオーストラリアは日本と同じ左側通行の国なので、州によるがここでは取得後半年間滞在すれば、帰国後日本の免許に更新できる)

ドライビングレッスンの先生は陽気なおばちゃんだった。
旦那さんが、地元のギリシャ人のサッカーチームの選手で、試合を観に連れて行ってもらった。そして、お古のスパイクをもらい、しばらく練習に参加させてもらったりした。めちゃめちゃハードだった。ダーウィンにはギリシャからの移民が多い事を知った。

数ヶ月後、地元の大学の付属の語学学校に通い始めた。
この頃、日常会話ならそんなに困らない程度の英語力になっていたが、もっと上達したかった。その語学学校は本来、オーストラリアに来たばかりの留学生が、大学の学期が始まる前に英語の勉強をするための場所だった。
なので、クラスメイトのほとんどは、これから大学生になる人たちだった。
香港、韓国、マレーシア、インドネシア、タイなど、色々な国から来ていたが、やはり一番多いのは日本人だった。
そして僕は、日本人と日本語で会話する楽しさを再発見してしまった。英語の勉強はそこそこに、楽しく過ごしてしまった。
同じ日本人でも、関西の人や九州の人と出会った事がなかった僕は、自分の知らない日本の事を色々教えてもらった。

3ヶ月間、色々な国の人と友達になり、学生生活を楽しんだ。
いろいろ面白い出来事があったけど、その話は別の機会にあらためて書きたいと思う。全日程を終了し、語学学校を卒業した。

そしてダーウィンを離れる時がきた。


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