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落語 / 東京帰省日記⑤

前回の続き。

 翌る日、浅草に落語を見に行った。

 初めて落語を見たのは、大学生の時。落語研究会主催の寄席イベントだった。その頃、日本の伝統芸能に興味が湧いており、落語の他にも歌舞伎や能などを観に行っていた。「『落語は古い』はもう古い」という、乙なコピーに誘われて、大学での落語公演を観に行った。

 そのイベントで、一番印象に残ったのが、古今亭文菊師匠。明瞭で渋い声、人物の演じ分け、キャラの立たせ方、振る舞い、全てが、凄かった。聞けば、入門10年目にして先輩28人抜きの真打昇進という快挙を成し遂げた、超実力派の噺家だと言う。その日からファンになり、東京にいた頃は、文菊師匠目当てに何度か寄席に通った。

 今回、浅草に来たのも、文菊師匠が目当て。久しぶりの寄席に、テンションが上がる。長崎では、東京ほど気軽に落語を見られる訳でない。落語に限らず「ライブエンターテイメント」全般に、触れられる機会が多くない。よく、地元の方から「長崎に来て困ったことはありますか」と聞かれる。正直、生活にはほとんど困らない。商業施設、行政施設、文化施設がコンパクトにまとまり、本屋も飲み屋もある。長崎は非常に便利な都市だ。自分に必要なものは全て揃っている。ただ一つ、落語を除いて。

(本当は、あともう一つ、タイ料理屋さんも)

 落語家さんというのは、本当に凄い。枕で人を笑わせるなんて朝飯前、息を吸って吐くように面白い話をする。寄席に入ってしばらく笑っていると、お目当ての文菊師匠の出番が来た。文菊師匠の感想を書くと20万字くらい書いてしまいそうなので割愛する。ただ、やはり最高だった。

 その日の寄席は、ある噺家さんの真打昇進披露興行ということで、初めて「披露口上」というものを見た。新真打を中心に、師匠や一門の先輩など数名が高座に上がり、口上(あいさつ的な?)を述べる。心打つ話も、笑い話もあり。そんな口上を見ていて、「受け継がれるもの」って良いなとじんわり思った。師匠から弟子へ、先人から次の世代へ、時代から時代へ。本気で落語に向き合う人間たちが、連綿と受け継いでいくもの。昨日読んだ「舟を編む」も、人の想いが伝播・バトンタッチされていく物語だったが、そう言うものに、憧れを覚える。

***

 浅草を出て、電車に揺られて、新宿へ。今夜は、大学時代のサークルの友人らと、飯を食う。皆と会うのは3年ぶりくらいだ。思い出横丁で落ち合う。意外とみんな変わっていない。近況報告をし合い、昔話をつまみに酒を飲む。

 大学時代、サークル活動に熱中していた。あの時が人生で一番、本気で何かに向き合っていた。ニッチな分野で、メンバーも多くはなかった。下手すると、いつ無くなってもおかしくないような活動だった。でも、聞くところによると、今も後輩たちが頑張っているらしい。自分が先輩から引き継ぎ、そして後輩に託したバトンは、今も受け継がれている。そんなことが嬉しかった。

 本気で何かに向き合う。想いを継なぐ。仲間と一緒に事を成す。

 自分はそういうことが、やっぱりまだしたいんだな、と、改めて気付かされた夜だった。

次回に続く。

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