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【短編小説】 鼻から先っぽを入れて脳を洗う宗教Aの知られざる話

10分で読める短編小説シリーズ『MOMENTS』
10週連続公開(毎週日曜日更新)・その6

レイクサイド・デザイン社のコピーライター、よどみさんは業界の飲み会で初老の男と知りあった。社名を告げると「じゃあ、僕の後輩になるんだね」と意外なことを言う。名前を聞くと男は「ともふさ」と名乗った。よどみさんは男から「~さん元気?」と 何人かの名を聞かれても全員知らなかった。デザイン業界はウナギにタレを塗るように、くるくる人が移動するのだ。
「時間が経ったんだねえ…自分じゃそれほどとは思わなかったんだけど……」
そして突然、「あの会社、今も宗教Aとは関係ないんだよね?」と藪から棒なことを言う。
「なんですか、宗教Aって?」とよどみさんが訪ねると、
「いやあ…昔こんなことがあってね…」と前置きして、男は以下のような話を語りだすのだった。

           *

なかなか昔の話。僕は東京での就職に失敗して地元に戻った。
環境にも仕事にも慣れなくて精神的にもたなくなってしまったんだ。
早々に退職したその会社では広報に配属されていたので「そういう方面の適正があるのかも」と考えた僕は、ふるさとの小さなデザイン会社の面接を受け、企画書担当兼コピーライターとして採用された。

入社初日、君の席はここだ、と案内されたデスクの後ろにファイル棚があった。
そこにはいくつかの書籍も並んでいて、そのなかに新興宗教Aの本があった。
あぐらをかいた教祖が空中浮遊している、という写真が表紙だった。
そのころの宗教Aは、よくテレビに出て、識者や弁護士と対決していた。
信者の家族に寄進を強要した財産を返せ、とか、子どもを返せ、とか、対立していた弁護士一家が消えてしまった、とか。
そんな「怪しげ」な新興宗教の本がなぜ、ここにあるのか不思議だった。
 
もしかして、宗教法人のダミー会社なのか。
なんて、思わないでもなかったのだけれど、ひと月ほど勤務しても、そんな話はまったく出ない。仕事の資料かなにかだったのだろうか。
その後はあまり気にせず、日々を過ごしていた。
 
会社には工業デザイナーのJさんがいた。
デザイン・企画部門のまとめ役で、かなりの数の家庭用品をデザインしていた。

ある日、Jさんとともに家庭用品卸の大企業の社長に会うことになった。
品の良い社長室にはちり一つなく、採光は十二分で、まぶしいほどだった。
皺ひとつないパリッとしたダブルの高級スーツに身を包んだ社長は、いまさっき床屋に行って顔を剃ってきたかのように、こざっぱりとしていた。

部屋も社長もキラキラかがやいているようで、僕はなんとなく、この人、ピカピカの孔雀みたいだな、と思った。
僕らが座った応接セットのわきには、そのころ爆発的に売れていた室内物干しが置いてあった。
傘の骨を逆さにして、ふたつほど上下に置いたようなタワー型の物干しだ。

「これがいま、売れてるんだよね」と孔雀社長。
「あ。そうですね。はい。聞いてます。なんか、すごく、売れてるって」とJさん。
「これと同じ商品を、権利が引っかからないように作ってほしいんだよね」と孔雀社長。
「あ。はい。パテントにひっかからないように。はい。わかります。同じようなものを」とJさん。
ものすごく堂々とパクリ商品の開発打ち合わせが行われているなあ、と僕はそのやりとりを聞いていた。
「君、できるよね」
「あ。はい。それは、もう。はい、やります。やらせていただきます」

打ち合わせの帰りの車中でJさんは、とても渋い顔をしていた。
プライドが傷つく部分もあったのではないかと僕は思った。
「まったく同じ商品を、パテントすり抜けて作れるものなんですか」と聞くと、Jさんは、だまって、うなずいた。
そして、眉間に皺を寄せ、静かにつぶやいた。
「やり方しだいかな……」そして「それより、もっと、うまくないことがあるんだよね……」
「えっ。なんですか?」と僕。
しばらく沈黙がつづいたあとで、Jさんはこう言った。
「あの商品、俺がデザインしたんだよ……」

それは、ある意味、やり手の証明だったのかもしれない。
Jさんはユーモアもなかなかのもので、いくつも商品に活かしていた。
取っ手がクマの調理道具シリーズや、キノコやカニの形をした鍋敷きなども作っていた。
ある日「かわいいラッコちゃんの包丁研ぎ器を試作したから、使ってみてよ」と言われた。
目の前には、貝をかかえて微笑むかわいいラッコの人形が寝転んでいる。
その額、左右のこめかみを結ぶラインに包丁研ぎ用のスリットが空いていた。
僕は胴体を片手で抑え、片手でラッコの額の中央に包丁を差し込んだ。
そして、包丁を前後に動かし、研いだ。
ギーッコ
ギーッコ
ギーッコ
ラッコちゃんは笑顔をはりつけたまま、頭を斬られる悲鳴をあげているように見えた。
Jさんは僕の手をそっとつかんで止めた。
「ごめん。これ、怖いね。開発中止かな」
仕事に失敗した落胆が、爆笑を押さえこんでいた。
複雑な表情で、鼻をひくひくさせながら、目を赤くしていた。

年末のある日、企画室の片づけをしていたときに、僕が例の宗教Aの本を手にとり、どうしたものかと思っていると、Jさんは「それ、もう捨てちゃって」と言った。
掃除のあと、社内で行った「今年も皆さんお疲れ様」の打ち上げで、Jさんにその本のことを尋ねると、会社との意外な関係を教えてくれた。
 
僕の会社の工業デザイン部門は、県の中心部にある金属関連の工業地帯にクライアントが多く、そして、家庭用品メーカーの仕事が多かった。
そんな取引先のうちの、ある社長が宗教Aの信者になってしまい、教団から仕事を受注するようになり、そのためのデザインを当社に依頼していたのだ。

Jさんは僕と一緒に缶ビールを持ったまま企画室の隣にある資料保管室に行き、ファイル棚の、そうとう昔の部分をあさって、一枚のスケッチを取り出した。
「アラジンの魔法のランプ」そっくりのフォルム。しかし、注ぎ口(?)のような部分が、異様に長く、しなやかな曲線を描き、先がとがっている。蝶々の、蜜を吸う口のようにも見えた。
Jさんに、なんですかこれ、と聞くと、こんな答えが返ってきた。

「これは、水を入れる器具。鼻から先っぽを入れて脳を洗うために使う」

なにを言っているのか、カケラも理解できなかった。
僕の頭には「?」の文字がいくつも浮かんだ。
「そんなこと、できるんですか?」
「できるわけないだろう」とJさん。

Jさんは、にやにや笑いながらスケッチをしまいはじめた。
「相手がさ“鼻から管を入れて脳を洗う器具を作れ”とか、なんだかバカなことを言うなあ、と思ってさ。うん。バカバカしいデザインで答えてみたんだ」
僕は手にした缶ビールをひとくち飲んで、言った。
「しかし怪しさ120%のデザインですね。あるいはコントの小道具というか」
するとJさんは、ニヤリと微笑んで、つづけた。
「相手。これ気に入っちゃって、ギャラ100万円だって。このスケッチだけで」
「ほんとですか……」と僕。
Jさんはファイルを棚にしまいながら言った。
「実際に作ったかどうかは知らない。けど、また別の話が来たり、うち的には、潤ったんだよね」
「うちはいまも、そんな仕事してるんですか?」
「いや。そこの社長、もう辞めたみたいだから。宗教を。目が覚めて、いま、もう普通」
「なるほど……」
「いっぱい金取られて。それで、目が覚めたみたいよ」
棚にあった宗教Aの本は、わけのわからない注文のヒントを得るために購入したものなのだそうで、僕の入社以来の疑問は、そのとき解けたのだった。

桜が咲くにはまだ早い、肌寒い春のことだった。
宗教Aの教団施設に強制捜査の手が入った。
東京の大規模なテロ事件とも関連があったということで、企画室ではテレビをつけて、みんな、仕事の合間に見ていた。

途中、ラグビーのヘッドギアに電極を付けたような、珍奇な被り物をした信者が何人も出てきて、機動隊員とこぜりあいをしている場面が映った。

「あれ、ラグビーのヘッドギアみたい……」と誰かがつぶやくと、製図台にむかって作業をしていたJさんがテレビのほうを向き、みるみる、顔が真っ青になった。
手を止めて、しばらく、画面を食い入るように見たあとで、すっくと立ちあがり、資料保管室へ向かって行った。

あまりにも挙動不審な感じだったし、しばらくしても帰ってこないので、
僕もあとを追って資料保管室へ行った。

そこではJさんが床に一枚のスケッチを広げて置き、その前にあぐらをかいて、頭を抱えていた。
そのスケッチには、電極がたくさん付けられたラグビーのヘッドギアが描かれていた。
それは、テレビの画面で見たものと、まさしく、同じものだった。
Jさんは頭を上げて僕を見ると言った。
「俺も警察につかまるのかなあ……」

「いや、捕まらないでしょう」と僕。そして「ところでそれ、なんなんですか」
わずかな沈黙のあとで、Jさんは、こう答えた。

「テレパシーで、教祖の思っていることを伝える装置……」

僕は驚いた。
「そんなこと、できるんですか?」
「できるわけないだろう」とJさん。

しかし一瞬ののち、目を細めて、こうつづけた。
「あいつらが、本物でなけりゃ……………………たぶん……。ね」
Jさんは苦々しい表情でそう言うと、憂鬱な目つきのまま、ゆっくりとスケッチを片づけはじめた。

僕はその背中に「きっと大丈夫ですよ」とか「ぜったい捕まりませんよ」とか声をかけようとしたけれど、どうも、まるっきり、そんな言葉に反応する雰囲気ではなかったので、とにかく保管室を出て、仕事へと戻ることにした。

僕はデスクにつくと、ほんのすこし、考えた。
そもそもほんとうに大丈夫なのかどうかなんて、誰にもわからない。
意外と彼らが本物で、本当に教祖の声を伝えることができてしまったのかもしれないし、警察がテレパシー・ヘッドギアの設計者を探しても、見つからなかった……という可能性もあるのだ。
世の中は、意外と何でも起こっている。
深く、どこかで、何かが進行していても、巻き込まれる側は気がつくことさえできない。

それ以降、僕もJさんも宗教Aの話はすることはなかった。
なかなか、昔の話だ。

いま、僕はその会社をやめてフリーのライターとして仕事をしている。
Jさんは僕の退職後、何年かして県の中心部にある調理用品関連の企業に転職したらしい。
地域を代表するようなきちんとした会社だし、全国の大手スーパーやホームセンターが取引先なので、
いまはもう
「できるわけないだろう」
みたいな仕事はしていないと思う。

たぶん……。

ね。




※この小説はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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