『清心館小伝』奥泉光ー読書メモ#5

『清心館小伝』奥泉光 新潮2024年6月号
純文学度:40
キャラ:2
テーマ:3
コンセプト:5
展開:3
文体:2
数字の意味については、以下の記事を参照ください。

江戸時代にありそうな剣術道場、清心館について書かれた小説。
ありそうな、ってとことは実際には存在しない道場ってことですね。
こういう100パーセントのホラ話を、実際に存在してそうな人名とか本の名前とかを出して、あたかも本当のことかのように語るっていう形式、長良は結構好きです。
何というか、純粋に虚構を楽しめる感じ?
小説って今やいろんなジャンルがあっていろんな楽しみ方を提供してくれますけど、小説の原風景というか、純粋な虚構ってこういうことを言うんじゃないかなって。
シンプルな美しさをこの小説から感じます。

まあ、なので、小説のテーマとかがっつり語らなくてもいいんじゃないかと思いつつ、それはそれで自分のスタイルにあってない気もするので、思ったことを書き留めておくわけですが。
本作で語られる清心館、漢字では清い心と書いているんですが、教えることはその真逆。
言ってしまえば、卑怯を極める道場なのです。
卑怯なことを教えるのにも理由があって、それは単純にそっちの方が勝てる可能性が高いから。
1対1で正々堂々戦うよりも、10対1でタコ殴りにした方が絶対勝てる。
だから、1対1で戦うことになったら相手がどんなに弱くても逃げろ、というのが清心館の教えなんです。
他にも、逃げるために足の裏を鍛えろとか相手を油断させるために土下座の練習をしろとか、卑怯もここまで極めるとひとつの道に思えてきます。

今回は清心館の教えについて、特徴をわかりやすくするために卑怯というネガティブな言葉を使いましたが、清心館の教えをその一言で済ましてしまっていいのかというと、少し疑問が残ります。
というのも、長良は人間の究極にして唯一の正解は生き残ること、だと考えているので、いわゆる卑怯と呼ばれる行為って、目標達成のための最適な努力のように感じられるんです。
生き残ることとか勝つことを目標とするのであれば、卑怯なことをしないというのは、むしろ怠慢なのではないかと考えることさえできます。
確かに、卑怯なことをする奴は嫌われるので、その分生存確率は下がってしまうのですが、そこのヘイト管理さえしっかりしていれば、卑怯を否定する根拠って結構脆くなっちゃうんですよね。
堂々と卑怯なことをするって結構難しいと思うんですが、時と場合によっては必要なスキルなんじゃないかな、と考えてみたり。

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