救急車にはなるべくお世話にならない方がいい

おはようございます。今病院で紹介状を待ってかれこれ1時間半ほどが経過しています。嘘です、書き始めた当時から12時間くらい経ちました。

というのも昨夜救急車で運ばれまして、処置を受けていたんですよね。夜中に胸が痛くなって息が苦しくなって(あかんこれ死ぬあかんわ)を感じて家族に通報してもらって夜中に爆音のサイレンを流しながら救急車に迎えに来てもらったのは覚えている。

点滴を打ってCT撮って、初めて造影剤打たれて体が熱くなるのを経験し、結果胸膜炎らしいことがわかった。

原因は大量の飲酒と喫煙習慣、そしてストレス。全部やっとるやん自分wと胸膜炎の解説サイトをさっき見ながら自嘲してしまった。

で、諸々の説明が終わったのが6時ごろ。救急のお医者さんはどうやら「死なせない」ことが第一で、それ以外は重視することがないらしい。

症状の説明も「〜かもしれない/今はわからない」、これからどの病院に行けばいいのかも分からず、発症した原因も「なんでもあり得ます」とかで、確かに救急は検査とかをする機関ではないだろうとふらふらになりながら割り切っていた自分の横でまぁまぁキレそうな母の返事の声が聞こえていたのは覚えている。

で、今は紹介状を待っている。既に2時間を迎えようとしている。

そもそもどこかの病院に行くにしてもCTの画像なりが必要だしそれ以前に所見とデータだけ出すのにこれだけ時間がかかるのは解せない。

自分が寝てるベッドの近くで次の受け入れ患者を受け入れるか笑いながら相談していたのが普通に聞こえた。「どうします?」「いや〜しんどいわ」「今日多いな〜」みたいな会話が聞こえた時点でそこそこ不安になってしまった自分がいたのを覚えている。

そりゃまぁ自分からしても(いやなんで来たん?)と思わせられるおばあさんが隣のベッドで絶対いらん検査とかを要求しながら入れ歯を取りたいと言い続けてたらそんな会話になるやろけども、それでもクライアントの前でぐだぐだ雑談するのはちゃうやろとね、なりましたね。

エッセンシャルワーカーたちを讃えよう。みたいな風潮があるのも分かるし、なんなら救われた身が書くのもおかしいけど、命の重さの尺度がバグったらそうなるんか〜と待ちながら考えていた。

多分自分のこの症状はありふれたもので、2日に1回くらいは頻繁に運ばれるものだろうし、なんなら呼吸器系だったからこのご時世だと見飽きるほど見てきたケースに違いない。

でもまぁ自分からすれば(あっやべ、死ぬ、これヤバいわ)と朦朧としながらいつ逝ってもいいように携帯のパスワードをオフにするくらいのそれだったわけで、n=1の怖さを思い知っていた。案外未練とかなかったからこれからもコンスタントにいつ死んでもいい生活を送れるように心がけたい。

そんな変な発見をしつつ、1分1秒を争う医療現場の「ちょっと」はすぐだと思っていたけど、「もうちょっと待って」と伝えられてから40分ほどが過ぎ、だるそうにペライチの紹介状が渡された朝だった。

で、寝て起きてさっき昼ごはんをもりもり食べて、これを書き終えようとしている。

そんな話でした。

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