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本田宗一郎「夢を力に」を読み返す

大学時代に読んでいた「本田宗一郎 夢を力に」を見返しました。誰もやっていないことをやり、人のマネを極端に嫌い、時代のニーズをうまく読みとってオートバイをヒットさせ、高い目標を掲げてF1世界一を目指し、好きなことを仕事にする。誰もやっていないことに仕事のやりがいを感じ、自社製品に対して高い要求水準を設定し、自分の好きなことをやっていた方という印象です。

以下、読んで心に残った部分です。

  • あとで考えると、やはりあのとき子守で半年間がんばったことがよかったのだと思う。あのときの苦労と喜びを思い出せば、どんな苦しさでもけし飛んでしまう。長い目で見れば人生にはムダがない(自動車修理工場に奉公しに行ったにも関わらず、やらされていたのは主人の子守だった時代を振り返ってのコメント)

  • エンジニアたちの設計に、「どこが新しいんだ?どこがヨソとちがうんだ?」と真っ先に聞くのが口癖だった。

  • つねづね私の感じていることは、性格の違った人とお付き合いできないようでは社会人としても値打ちが少ない人間ではないかということである。世の中には親兄弟だけで会社を経営して、自分勝手なことをするような会社があるが、人材は広く求めるべきもので、親族に限っているようではその企業の伸びは止まってしまう。

  • このままでは世界の自由化の波にのまれてしまうことは必至である。世界の進歩から取り残されて自滅するか、危険をおかして新鋭機械を輸入して勝負するか、私は後者を選んだ。ともに危険である以上は、少しでも前進の可能性のある方を選ぶのが経営者として当然の責務と判断したからである。(会社の存続にかかわる苦しい時代を振り返って)

  • 現地に工場を建てたからにはまずその土地の人を富ます方法を考えねばならぬ。

  • 私は若いひとたちを高く評価している。私に言わせれば「若いやつはアプレで困る」という人がいるが当の本人はどのくらい古くさい思想の持ち主であるか身の程知らずだと言いたい。

  • ただ漠然と人さまがやるから俺もやるというやり方はしないのだ。

  • 私にとって機械いじり仕事がそのままレジャーなのだ。

  • 私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。99%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ1%の成功が現在の私である。その失敗の陰に、迷惑をかけた人たちのことを、私は決して忘れないだろう。

  • 社会の進歩する速度が緩慢な時代には、事業経営は一つに経済的資本にかかっているということは、事業経営の最も根本的な要求であった。・・・しかるに現在のように、過去における十年、二十年の進歩を、一年とか半年に縮めて行う時代においては、事業経営の根本は、資本力よりも事業経営のアイデアにある。・・・資本力は事業経営における重要さの度合いをアイデアに譲った。

  • 過去は過去として正しく見、しかも過去にとらわれず、過去になじまぬ自由な見方、自由な感じ方をする人にのみ優れた発明工夫が生まれます。・・・多くの人ができるとかできぬとか申しますが、できぬと断定できるのは神様だけであります。

  • どのように優れた工夫や発明でも、必要なときに提供せられなければ何らかの価値もない。「六日のあやめ、十日の菊」では商品価値はゼロである。

  • 大衆の意表に出ることが、発明、創意、つまりニューデザインだ。それを間違えて新しいものを作るときにアンケートをとるから、たいてい総花的なものになる。他のメーカーの後ばかり追うことになる。

  • 未知の世界の探求というものは、私は人生最大の楽しみの一つだと思う。この楽しみをあきらめたり、忘れたりしたら、もうその人間の進歩はストップする。

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