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若い頃、意図せずして"過疎地の駅の駅員"になって学んだこと(2)

(前の記事は上記リンクをご参照ください)

インドネシア赴任の目的

インドネシアに赴任した目的について述べたい。それは会社としては、「東南アジア市場の成長を取り込む」ことであった。赴任先の会社はその成長の取り込みを目的に買収した現地の企業であった。

当時は東南アジアの成長を取り込むべく、本社では東南アジア市場へのリテールビジネスの参入機会を常に伺っていた。その頃はまだ日本経済全体で見てもリーマンショックの傷が癒えておらず、また金融市場がようやく回復してきたとも思った矢先に東日本大震災に見舞われ、六重苦(円高、経済連携協定の遅れ、法人税高、労働市場の硬直性、環境規制、電力不足・電力コスト高)という言葉まで出てきてなんとなく世の中に得体の知れない停滞感が満ちていた頃だった。そんな中、「いつまでも日本にとどまっていてはだめだ。成長市場を取り込みに海外に出よう」という機運が会社内でも高まり、東南アジアにおける新規事業構想が立ち上がった。まずは東南アジアのGDP構成や人口動態を踏まえた今後の成長予想、市場機会、規制動向、そして日本という国との親和性等も加味しながら、どの国が参入に適しているかを絞っていった。その中の一つがインドネシアだった。

しかし、いくら統計上、成長が見込まれる魅力的な市場であっても、それを自分達が取り込めるかどうかは全く別の話である。知名度もネットワークも現地事業ノウハウも持ち合わせていない日本人が現地に赴き、更地から土壌を耕しても失敗して終わることが目に見えていた。そこで、参入方法として現地企業のM&Aという手段が有望な選択肢として挙がった。「現地企業を買収し、経営陣も送り込み、現地企業のパートナーと共同経営を行おう。そして現地の事業ノウハウを徐々に蓄積していこう」ということで、M&A候補先を探した。

幸い、インドネシアでの現地企業で、ちょうど事業拡大のための外部資本を入れようとしている企業があった。そこは事業規模は決して大きくはなかったものの、小規模である分オペレーション全体を見渡すことができ、まさに事業経営ノウハウを学ぶための第一号買収案件としてはうってつけであった。また、小さく始めれば仮にうまくいかなかった場合であっても、損失を低い水準で抑えることもできる。

インドネシアの会社は小さい会社ながら、「東南アジアの成長を取り込む」「現地企業をどんどん買収し、東南アジア事業を拡大していく」という大きなビジョンをスタートさせるための小さな一歩だった。この小さな一歩に少しでも携わることができたことは今振り返っても大変貴重な経験であった。

今でも何度も見返す元JTの新貝副社長のインタビュー

https://www.saa.or.jp/journal/eachtitle/pdf/tokusyu_130401_2.pdf

クロスボーダーM&Aを語る上では外せないビジネスパーソン多くいる。自分にとってそれは三菱ケミカルの元小林喜光社長、そしてJTの新貝副社長(当時)であった。

上記のリンクは証券アナリストジャーナルに掲載された新貝副社長へのインタビュー記事だが、インドネシア赴任前、偶然にもこの記事を読み「ああ、これってまさにこれからインドネシアに行き、現地新規事業を学んでくる自分のための内容じゃないか」と何度も繰り返し読んだ記憶がある。それほどまでに本記事はクロスボーダーM&Aとその後の現地オペレーションの要諦が理解できる貴重な記事だった。

新貝副社長と言えば1999年のRJRナビスコのタバコ事業買収を手掛けた人物として有名である。だが、JTではこのナビスコのタバコ事業を実現するずと前から、「海外事業を強化する」という長期的な戦略を掲げておりその手始めにマンチャスタータバコというとても小さなタバコ会社を買収し、M&Aの練習を積んでいたことはあまり知られていない。この記事はそんな経緯も知ることができる貴重な記事である。以下、少しだけ記事の抜粋を載せておきたい。

1984年に日本たばこインターナショナル を設立したが、これは今のJTIとは全く別の法 人で、日本に本社があり、輸出モデルでの事業であったが、なかなか数字が伸びなかった。たばこはブランド商売であり、ブランドを立ち上げるた めにはかなりの投資をして、プレゼンスを高める必要があった。しかし折からの諸外国の広告宣伝規制もあって、ゼロからブランドを立ち上げるのに相当苦労した。また、バリューチェーン全体をマネージできる人材もいなかった。
当社は、1985年に専売公社から現在のJTになったが、4年後の1989年に国内たばこ市場の今後につき、さまざまな角度からシミュレーションを実施した。その結果、ほぼ10年後に、国内のたばこ消費量はピークアウトするという予測が得られた。たばこは大人の商品であり、成人人口の 影響を受ける。しかも、20歳から60歳の喫煙率と60歳以降のリタイア世代の喫煙率を比べると、 60歳以降は大きく下がる。すなわち生産力人口 の増減にかなり影響を受けることが分かった。それで、ほそぼそと輸出モデルでやっていたのでは、 国内の落ち込みをとてもカバーできないという危機感を持った。そこで考えた策の中の1つが、 1992年のマンチェスタータバコの買収であった
マンチェスタータバコは英国マンチェスターにある小さなタバコ会社であったが、製造から販売まで全て揃っていたのでバリューチェーンの全てを マネージできる人材を育てるのに役立った。当時、JTから将来を嘱望される人材を送り込み、彼らが 前述の危機意識と使命感を持って頑張ってくれて、その後、1999年のRJRI買収以降キーパーソンとなった。
RJRI買収の意義は、グローバル展開のプラットホーム一式、中でもブラ ンドの獲得を一気に行うことであり、まさに時間を買う戦略であった。さらには優秀な人材を取り込む意図があった。買収は究極の中途採用であ る。これにより、海外たばこ事業を確かなものに したかった。

https://www.saa.or.jp/journal/eachtitle/pdf/tokusyu_130401_2.pdf

今となっては恥ずかしい話だが、JTのこの海外M&Aの成功のシナリオと、当時自分が属していた会社の今後のロードマップを重ね合わせてこの記事を読んでいた。自分はJTでいうマンチャスタータバコに行くんだ、と。


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