見出し画像

モブキャラになりたくなければオルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」を読むべき

「モブキャラ」という言葉がある。これは、アニメーションやマンガの背景にいる主人公以外のその他大勢の群衆のこと。 「モブキャラクター」の略。 具体的に、スポーツ試合の観衆や野次馬などの群集、偶然居合せた一瞬映るだけの通行人、主人公達に一瞬で倒される軍勢など「その他大勢」 のことらしい(ソースはこちら)。

そして、「モブ」とはその他大勢の群衆のことを示す。

この言葉は、主人公にも悪役にも何者にもなれなかった、名前も呼ばれない誰か、という意味で、自虐的に用いられる場合や、もしくはSNS上で相手を見下すときに用いられる場合が多い。いずれにしても、ネガティブ要素を用いて使われる場合が多い言葉である。

だが、大学の卒業論文で20世紀以降の群集心理・大衆心理と知識人の対立をテーマとした自分にとってはこのネガティブな意味合いで「モブ」を使うのには違和感がある。

なぜなら20世紀以降の世界の主役は、紛れもなく「モブキャラ」たちであり、今我々は「モブキャラ」が歴史上初めて権力を手にした時代に生きているからである

この事実について詳細な記述を行ったのがオルテガ・イ・ガセットの名著であり、また私の卒業論文の参考テキストとして用いた「大衆の反逆」である。

そんな「大衆の反逆」のうちの一節を、「大衆」という言葉を「モブキャラ」という言葉に置き換えながら以下引用してみる。

  • モブキャラとは良い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分はすべての人と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出している全ての人のことである。

  • モブキャラというのは、その本質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、ましてや社会を支配統治するなど及びもつかないことである。

  • モブキャラは自分と違う考えの人を排除する。モブキャラは自由で自立した思考をしようとする者を嘲り、こき下ろし、引きずりおろす。

  • われわれがここで分析しているのは、ヨーロッパの歴史が、初めて、モブキャラそのものの決定にゆだねられるにいたったという新しい社会的事実である。あるいは、能動体でいえば、かつては指導される立場にあったモブキャラが、世界を支配する決心をしたという事実である。

  • 人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な欲求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である。

  • サンディカリズムとファシズムという表皮のもとに、ヨーロッパに初めて理由を示して相手を説得することも、自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断固として強制しようとする人間のタイプがあらわれた。それがモブキャラである・・・モブキャラは意見を主張しようとするが、あらゆる意見の主張のための条件という前提を認めようとはしない。

  • モブキャラは、自分がその中に生まれ、そして現在使用している文明は、自然と同じように自然発生的なもので原生的なものであると信じており、そしてそのこと自体によって原始人になってしまっているのである

  • モブキャラは文化の基本的価値など彼には興味がないのである。彼にはそうした価値に共同責任を負おうともしないし、その価値に奉仕する心構えもない。

  • モブキャラは国家という組織が不安定なものであることに気づかないし、自己のうちに責任を感じるということがほとんどないのである。

  • モブキャラは国家を見て、国家に感嘆する。そして国家が現にそこにあり、自分の生を保証してくれていることを知っている。しかし彼は、国家は人間の創造物であり、幾人かの人間によって発明され、昨日までは確かに人間にそなわっていたある種の徳性と前提条件によって維持されてきたものであり、明日には雲散霧消してしまうかもしれない、という自覚はもっていない。

  • 人間の生は、その本質上、何かに賭けられていなければならない。生きるということは、一方においては、各人が自分で自分のためになすことである。しかし他方においては、そのわたしの生、わたしだけにとって重要な生が、もしわたしがそれを何かに捧げているのでなければ、緊張も『形』も失い弛緩してしまうのである。近年、モブキャラたちが献身すべき対象をもたぬために、無数の生が自らの迷宮のなかに迷い込み消えていくという恐るべき光景を目撃してきた

  • 創造的な生は、厳格な節制と、高い品格と、尊厳の意識を鼓舞する絶えざる刺激が必要なのである。

これを見ればわかる通り、SNSで他人を罵り、お互いに下げ合っているのは彼らがモブキャラだからである。

政治家や有名人に誹謗中傷を行うのもモブキャラだからである。

もし、20世紀以降の我々の世界の中枢を握る権力層である「モブキャラ」を脱したいという殊勝な心構えを持つ方がいるとしたら、それは簡単である。

まずは大衆の反逆を買って読み、そこで書かれている大衆と真逆の行動を取れば良いだけである。それだけでめでたくモブキャラ脱出成功、マイノリティの層に移行することができる。

  • 多様性を認めつつも、他人と違うことをする。

  • 自らに多くを求め、進んで困難と義務を負う。

  • 自分達が築き上げたきた文化・社会は自分達の弛まぬ努力によって維持されているものだとする。

  • 自分の生を、何かに対して賭ける。

おおよそこのような点が、モブキャラ脱出の鍵だろうか。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?