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過去15年間の社会人経験から身をもって学んだことを書いてみる

仕事人生も後半戦に入っている中、過去15年程度を振り返って感じたこと・学んだことを脈絡なく思いつくままに記載していってみたい。


1.人の本性は危機の際に現れる

どんなに平時で立派なことをのたまっている人でも、有事になって自分が巻き込まれると、途端に態度が豹変し、自分は関わりを持ちたくない、と露骨に避ける者が出てくる。もしくはぬかるみを歩みながらその職務を全うしようとする者がいる。経験則的には圧倒的に前者が多い。彼らは「応援している。サポートしている(ただし、自分に被害が及ばない限りは)」というスタンスを貫く。

昔、①出資先子会社の業績が悪くなり減損処理をした際や、②出資先の企業がウクライナ危機により存続の危機に立たされた際に実感した。

①の事例においては、出資を所管した役員と、その後出資してから業績が悪くなってから所管した役員との間で神学論争が始まった。すなわち、減損の要因について、「もともと出資時に楽観的な事業計画を立てていたためではないか」という主張と「出資後の管理が悪かったからではないか」との主張である。結局どちらも明確な勝敗はつかず泥試合の体となった。

②の事例においては、とある先輩が「大変だな。けどこういう修羅場を乗り越えてこそ成長できるし、こうした時こそ踏ん張れるかどうかでその人の真価が問われるから頑張れ」と言ってくれた。ところが、その先輩がこの案件の責任者的な立場の部署に異動すると途端に態度が釈変し、「そもそも我関せず」というスタンスを明確に取り、責任者を他の人に押し付けた上、自分は他の新規案件に注力し始めていた。

人の真価を見るには発言ではなく行動を見よ、とはよく言われるがまさにその通りと思わされた事例だった。三国志に登場する魏の創始者曹操は「乱世の奸雄」だったと聞く。自分の身の回りにいた人物の大半は残念ながら乱世の小役人であった一方、乱世の奸雄的な人も少なからず存在した。そして未熟な自分と共に苦境を乗り越えてくれたことは今でも深く感謝している。

2.みんなサラリーマン(自分も含めて)

社長肝入りで推進していた新規事業も、いざその社長が退任すると一気に皆の視線が冷めていく。それどころかその社長が退任すると同時に「そもそもなんでこんな事業やっているの?」と手のひらを返すような人物もたまに見かける。または社長の退任により、今後は「勝ち馬認定」されなくなることを見越す平社員はすぐに別の部署への異動を画策する。真に自分自身のキャリアを賭けて事業に邁進する人はごく稀で、たいていのサラリーマンは勝ち馬認定されなくなった事業からは去り、次の「社長の肝入り案件」を見つけに行く。

これは当然だろう。基本的に仕事とは、生殺与奪権を握られている者を見ながらするものであり、サラリーマンにとってはそれが上司だからだ。上司の嗜好や考えが変わればそれに適合した仕事を行う必要がある。

「生殺与奪権を握られてる者を見ながら仕事をしなければならない」点は何もサラリーマンだけではないだろう。スタートアップ、個人事業主等であっても、彼らの生殺与奪権を握る者、つまり市場や顧客を見ながらうまく事業をチューニングしていかないとすぐに立ち行かなくなる。誰もが首根っこを掴まれている相手を見ながら仕事をしている。

そこから抜け出したいならブッダの言葉を読んで出家するか、スナフキンのように自由に生きるしかない。

3.みんなポジショントーク

「今後注目の市場は?」「今後、どんなビジネスが伸びるか?」と聞かれたら、誰もが「今自分が携わっている市場や業界」に言及するだろう。もしベンチャーキャピタルに「今後注目のスタートアップは?」と聞かれたら当然の如く自分の投資先について言及する。自分の行動と矛盾した発言など、特に地位が高くなるにつれてできなくなるからだ。なぜ自分自身が行っている仕事と相反するような言動をすることができよう。

少し話が脱線するが、経営者インタビュー記事が多く掲載されるNewsPicksは語り手によるポジショントークやPRが主となっており、NewsPicksの本質は経済メディアでなくPRメディアなのだと考えている。客観的なデータを求める場ではない。

4.起業家ほど恐ろしくリスクに敏感で現実的・サラリーマンほど夢物語を語りがち

起業家ほど恐ろしく現実的に事業計画の数値を詰め、地に足ついた事業を実行しようとする。一方でサラリーマン組織ほどまるで雲を掴むような夢物語を語り、実行し、そして失敗する。起業家ほど周囲の雑音に対して「No」と言い自分の事業に集中する一方、サラリーマン組織ほど「不退転決意でやってやろうぜ」と取れるかどうかわからないリスクを取りに行き、失敗する。これはなぜか。起業家は正に生死をかけて事業をやっているので目の前の事業に必死で取り組まないと死んでしまうからである。百年の計を語る前に明日生き延びられるかどうかが大事なのである。一方で大企業のようなサラリーマン組織は、「ありたき姿」といった夢を夢想する精神的余裕もあり、「知の探索」を行う余裕があるため、中途半端な気持ちでリスクをとって失敗してしまうのだろう。

取るべきリスク・取りたいリスクをとっているのが起業家であり、取りたくないリスク、取れないリスクは決して取らないのである。

5.アイデアは過大評価され、実行力は過小評価されている

少し4.とかぶる部分があるが、一般的にアイデアは過大評価され、実行力は過小評価されていると考えている。ビジネスを自分で立ち上げたことのないサラリーマンの新規事業ほど、壮大なビジョンやビジネスプランを掲げ、「特定のユーザー層のみを対象とするニッチなビジネスなんてつまらない。全日本人を市場規模とするような壮大なストーリーを描きたい」となりがちである。練りに練った緻密な事業計画を作成し多額の初期投資を行い、「絶対に失敗できないプロジェクト」になり、その後大きく失敗する。

大企業にはよく「アイデアマン」と呼ばれる輩がいるが、彼らがアイデアマンと呼ばれる所以は奇抜なアイデアを出すことができるからだ。なぜ奇抜なアイデアを出すことができるかと言えばその理由は簡単で、第三者的な視点から無責任な意見を言っているだけだからだ。

6.事実と願望の区別は難しい

自分は社会人になって既に長い時間を過ごしているが、お恥ずかしながら未だに事実と願望の区別が上手くできない。いまだに事実を曲解し、自分の都合のいいように見たい事実だけを見てしまう。今後、本当に日本はオワコンなのか?大企業はオワコンなのか?本当に人生100年時代なんて来るのか?2024年は不景気に突入するのか?等、答えのない問いを考える際、いつも「こうなってほしい」という願望ありきで自分の考えを導いてしまう。真に事実に立脚した判断を行うことは非常に難しい。その癖は方法序説を読むと言った付け焼き刃的な対処療法では治癒しない。これからも日々の生活の中で、意識して事実と願望を区別していくしかないのだろう。

7.「最後は人柄」「最後は愛嬌」の「最後は・・・」が孕む危険性

中堅社員が若手社員に対して、営業の秘訣を語る際「最後は人柄だよ」と言った言葉を投げかけるが、もし若手社員がこの言葉をそのまま受け取っていたとしたら危険である。この「最後は」という点がポイントで、この最後に至るまでに、「情報収集力」「提案構想力」「読解力」「データ分析力」「パワポ作成能力」「説明力」といった多種多様なハードスキル・ソフトスキルを身につける必要があるからだ。「なんだ、最後は人か」といって何もハードスキルを身につけずに年を重ねていくと悲惨である。間違っても順番を勘違いしない方がいい。

ちなみに若いうちは古典を読んで教養を身につけるのも良いが、そこに辿り着く前に「考える技術・書く技術」「企業価値評価」「ストーリーとしての競争戦略」等のビジネス書を学んでこそ、古典で身につけた深い教養も活きてくるものだと考えている。



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