ネットで話題の本、マンゾーニの『いいなづけ』とは
数日前のニュースで、ミラノの校長先生が、学校のホームページに「生徒への手紙」という文章を掲載したのをご存じだろうか。
17世紀の話なのに、まるで、今日の新聞を読んでいるようだというのだ。
webニュースや、SNSを通じてその話題を耳にしていた人も多いと思う。
ぜんぜん、知らなかったという人は、さしあたり、NHKニュースでもチェックしてもらいたい。
今回の新型コロナウィルス関連のニュースは、民衆の不安を煽るような質の悪い話題が多い中、久しぶりに、心温まるような感想を持った人も多いと思う。
さて、この校長先生ドメニコ・スキラーチェさんが、引用していたのは、アレッサンドロ・マンゾーニの『いいなづけ』という本である。
17世紀にイタリアではペストが大流行して、たくさんの人が命を落とし、民衆は混乱した。その時の様子を実に生々しく語ったお話である。
僕はこの本がとても気になり、すぐに探したが、日本語版の流通はあまり多くはなかった。
それでも、ネットの恩恵で、すぐに分厚い初版を手に入れることができ、読むことができた。
筆者の前置き
この本は、800ページ以上ある超大作のうち、3分の2ほど進んだところでペスト流行の話に入る前に、筆者は前置きをしている。
どれか一つを見れば史実が確認出来るという資料はなかったということ。
そんな中でも、『リパモンティの記録』というのが、大切な事実が全て記録されており抜群に秀でたものであるが、間違い多いため当局が残した資料などと照らし合わせて情報を修正したという。
多くの資料は、行き当たりばったりに書かれたものがほとんどで、当時の書物に共通する特色だったらしい。
とにかく、筆者は、この文章を書くにあたって、大変な取材努力をしたと言うことが書かれていた。
それだけに、この本に書かれている話は創作ではなく、史実に近いと思っていいだろう。
効果のない対策
最初に登場する集落は、すでにペストが蔓延した村を捨て、郊外に野営している。
村人の各々が、薄荷草(ミント)、芸香(ヘンルーダ)、迷迭香(ローズマリー)、酢を持っていた。
現代なら、こんなものでペストが予防できるはずがないと思うが、おそらく藁にもすがる思いで、薬草や酢を使っていたのだろう。
今回の新型コロナウィルスの件を見ても17世紀の人を馬鹿にできない。
信用出来そうな医学的エビデンスに基づいた話だと、80%程度のエタノールが消毒効果が高いとされているが、「消毒」「殺菌」等とパッケージに書かれているものは、何でもかんでも売り切れで手に入らない状況である。
ちなみに消毒液も、市販品は有効成分がベンザルコニウム塩化物のものが多く、各メーカーも、新型コロナウィルスへの効果は確認出来ていないと言っている。
それでも、こういった商品を奪い合って買いあさるのは、酢で消毒しようとした17世紀の人とさほど変わらないのではないだろうか。
イベントは中止?開催?
この頃ミラノでは「フェリペ4世陛下の御長子カルロス親王殿下の御誕生」という一大イベントがあった。スピラーノ総督は官民あげて祝賀の祭典を執り行うという布告をだした。
すでに、地方でペストが流行している村を閉鎖しているような状況だったにもかかわらず、スピラーノ総督はドイツとの戦争の方が気がかりだったという。
このような状況で、大勢が集まることは危険だと、総督は気付いていないのか、それても気にも留めていないのか。と、不満が募った。
どうやら、この総督は、戦争で死んだのではなく、身内の叱責、非難に心身共に疲れ果ててベッドの上で死んだという。
現代風に言えば、炎上の末の鬱ということだろう。
僕が1月からずっと言ってるのは、オリンピック本当にやるつもり?ってことである。
これには、もちろん賛否があって、3月は全国的に大きなイベントやコンサート、そして卒業式も中止になった。このまま何でも自粛、中止ということが続けば、日本経済は本当に破綻してしまうだろう。
しかし、せっかく収束しかけたところに集団感染ということになれば、また事態の長期化にもつながってしまう。
各団体、そして国の宣言は非常に難しい判断が迫られている。
17世紀ミラノの話に戻るが、地方の村から次々と感染者の報告が上がってくるのに、ミラノではさほど騒ぎになっておらず、ペストの大流行を噂する者は冷笑されて白い目で見られた。
これは、過去の飢饉などの経験から、騒ぐと余計に事態が悪化し、死人が増えるという認識があったからのようだ。
ペスト流行を信じないどころか、警告する人がいると、精神的に問題がある人だと言われた。
判断の遅れ
当時の「衛生局」という機関はわりとまともな動きをしていたようで、独自に情報収集をしていた。
感染者の発生状況を報告させたり、汚染された物の提出を求めた。
しかし、冷めた民衆からはあまり協力が得られなかったという。この中の2人の医者が、事態は極めて深刻だということを早い段階でのべていたが、国の協力は得られなかった。
さらなる感染拡大を防ぐために通行証の制限をすることが決定されたが、上層部の官僚が、面倒な別件を持ち出して、なかなかことが進まなかった。この案件が実際に公布されたのは2ヶ月も後だったという。
その間に、ペストはミラノ市内にも入り混んでしまった。
この時点では爆発的に感染拡大したわけではなく、水面下での人々の動きでじわじわと感染者が増えた。感染が見つかる度に隔離などの措置が執られたが、こういうことは希だった。
このことは、民衆に、ペストなんてやはりないのだと思わせたし、医者はペストの疑いがあっても、ありきたりの別の病名を付ける術は心得ていた。
したがって、衛生局に報告されたとしても、情報が遅く、内容もいい加減であった。
人間不信
こうなってくると、次々と沸き起こるのが、人間不信による弊害である。
隔離されたら大変なことになるという噂がたち、人々は、感染が疑わしくても隠そうとするものがでてくる。ペスト流行の深刻さを訴える医師は、「国賊」などと呼ばれるようになる。
「世間を不安にさせて金儲けしようとしている」という声も上がってくる。
いよいよ感染者が増えて死亡者が増えてくると、隔離等厳重になってくるが、病院の日々増大する費用は誰が負担するべきか。自治体か、国か・・等と揉めていたが、市参事会で肩代わりしたまま、形式上は最後まで結論は出なかった。
ペストがいよいよ大流行し始めると、ペストの毒付油を教会に塗っている奴がいるという噂がたった。人々はそれを信じたし、怪しい者は冤罪でも捕まえて拷問にかけたりした。服装が違うのでよそ者とわかる人(おそらく、外国人のこと)を見たら疑った。
ペストにかかったにもかかわらず、自然治癒することもあり、やはり事態を甘く考える者もいた。
不安に混乱した人々は、やがて食料や日用品を買い占め、奪い合うようになっていった。
だれもが互いに感染を疑い、どこかにペスト塗りの犯人がいると信じるようになった。もともとアウトローだった輩が、混乱に乗じて悪さをするようになる。
まとめ
この後ペストは益々感染拡大し、歴史にのこる大惨事となってしまった。
念のため繰り返すが、これは、17世紀のイタリアで、ペストが流行したときの話。
混乱し疑心暗鬼になっていく民衆、判断と行動が事態に追いついていない政府の対応、責任の押し付け合い、差別や買い占めなどの二次的な事件。
イタリアの校長先生が、まるで今日の新聞を読んでいるようだというのは、本当にそう感じる部分が多々あった。
さて、我々は、今何が出来るのか。
少なくとも、本当に恐ろしかったのはペストという病気だけではなく、民衆の盲目的な動きである。
自分で情報収集し、自分で考え、理にかなった行動をすると言うこと改めて試されている。
ミラノの校長先生は、「休校中に、良い本を読んでください」と言っている。
子ども達には、「ゲームやりすぎ!」なんていう前に、一緒に良い本を探して、買ってあげたいと思っている。
ワイドショーやSNSの情報に翻弄されず、真実を見極められるよう、本当は大人こそ本を読むべきなのだ。
現在は、上下巻に分かれた文庫が購入可能です。