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子育ては、朝一番の掃除から
最近はすっかり「朝活」なんて言葉も定着していて、ジョギングなんかは昔から定番だけど、サラリーマンの人は自主的に早朝出勤するとか、読書や勉強をするとかね。
そういうの、オシャレでうらやましいんだけど、僕は会社勤めをしていないので、基本的に家族しか居ないし、自宅または周辺に限る。
通勤や出社というリミットがないので、朝活だろうが、朝まで活だろうが、区切るモノがないのだ。
でも、幸いにして、子ども達が学校に行くので、少なからずそのことが我が家のペースメーカーにもなっている。
朝活は何時から
数年前は4時半くらいに起きて掃除して5時半ころから仕事していた時期もあるのだけど、子ども達も大きくなってきて習い事が夜にかかったりすると、夜20時には寝ましょうと言うことも難しくなってくる。
就寝が22~0時となってくると、4時台に起きるのは、少なからず睡眠不足を伴う。
それで、遅くても仕事は0時で切り上げようという自分なりのルールを設定し、起床は6時としている。
できれば、22時には寝たいが、毎日ほぼそうならない。
(22時頃といえばバリバリ仕事中で、問合せの返信をしていることが多い)
仕事処理能力の低さなのか、オペレーションが悪いのか。
まあ、どっちもだな。苦笑
出勤時間にもよるけど、昼間眠くてシンドイのは、だめだよね。
睡眠時間を確保出来て、本業の前に30分~1時間程度、なにか出来る時間というのが良いんじゃないかな。
朝活は掃除に限る
朝活と言っても色々やれることはあるけど、掃除に勝る選択肢は無いと思う。
最近は、子ども達も、参加してくれるようになった。
子どものゲーム問題って、みんな深刻でしょ。
うちの子達も大好きで、どう管理するのが正解なのか、けっこう困っている。
ゲームが悪いのは、時間を奪い、心を壊すことだ。
そこで、せめて、朝一に、心のリセットボタンを押す時間を作った方が良いと言うことを考えた。
それが、朝活掃除の始まりだ。
「もっとゲームやってもいいでしょ~?」とか自分の希望を言う前に、良いか悪いか、態度でしめしたら?ってこと。
じゃあ、何すればいいの?っていうので、決められないなら、とりあえず朝の掃除くらい付き合えと。
何日か続けると、子ども達も習慣化してきた。
雑巾がけも上手になってきた。
最近は、僕はまだ寝ている5時50分くらいから掃除機の音が聞こえることもある。
あと10分寝かせてくれよって思うけど、率先してして掃除してるんだ。悪いことじゃない。
逆に週末はどうするのかと思って、僕は黙って6時からいつも通り掃除を始めると、少し遅れて長男が起きて来て、第一声が「どこまでやった?」だった。笑
9割方、雑巾がけも終わる頃に起きて来た次男は、なんとなく引け目を感じたのか、洗面所の掃除を始めた。
掃除で子育て
仏教でも、厳しい修行をする宗派もあれば、仏様の力によってしか救われていかないと考える宗派もある、いやいや宇宙は繋がっているから、どちらの頑張りで救われるのかと区切ること自体ナンセンスと考える宗派もある。
子育てもこれに似ているところがあると思うのだ。
子どもに掃除なんてさせても、何の役にも立たないし、それよりも親の愛情が大事という子育てもあるだろう。何があっても怒らない、責めない、絶対に見放したりしないから大丈夫よって。
そういうお慈悲系の子育ては、うちは向いてないな。笑
僕だけじゃなくて、うちの子ども達も、身体にたたき込んだ方が、精神が後から付いてくるタイプだと思う。
それで、「作務修行系子育て」(と勝手に分類。笑)
今の感じに落ち着いている。
子育てなんて、どんな方法が正しいなんて議論するのがバカバカしい。
毎日でもやって、ダメなら毎日でもやり方を変えたらいい。家庭毎に違うだろうし、兄弟の中でも1人ずつ違う。同じ子でも、去年と今年は同じ方法が最適とは限らない。
「掃除なんかしても意味ねー」っていうのは、ずっと続けた人が言えば重い言葉だし、やってもないないやつが言うと、理屈に値しない軽い言葉だ。
訳わかんない根性論はやめよう
ときどき浮上する、トイレ掃除は裸足でやれとか、身体や精神に苦痛を与えるほうが正義みたいな話が変な話が出てくるでしょう。
悪いこと言わないから、ああいうのはやめとこうよ。
化学繊維のハタキ、掃除機も使う。メイン機と、ハンディ機を使い分けて。
適時、洗剤も使う。
ただやればいいとか、時間さえ潰せばと言うことでは、それこそ掃除をしている意味が無い。
一番わかりやすいのは、短時間で結果を出す努力をすること。
掃除の例でを具体的に言えば、効率的に隅々まできれいにすること。
そうやって結果にこだわっていくと、必然的に中身が付いてくる。
結果よりも経過を褒めてやろうみたいな話が多いけど、僕は逆。
効率よく結果が出せるなら、よりよい方法だったということだと考える。
経過を褒めるのは、内容の吟味が必要だ。
たとえば、「裸足で掃除した方が心が育つ」なんていう理論があったとしよう。それ自体は、本末転倒な、奇妙な言い回しだと思うのだ。まずもって、根拠がよーわからん。
でも、そうじゃない場合もあって、歴史的偉業を成し遂げた人が、実は子どもの頃にいつも裸足で掃除をしていたということなら、見習う価値はあるかもしれない。
ただ、そういうゴシップ週刊誌が取り上げそうなネタっていうのは、直接的な原因じゃないことが多い。つまり、そこだけマネして、なにか良い結果に繋がることは少ないように思う。
だから、そもそも朝活っていっても、体に鞭打つための修行みたいなことをやる必要はないし、もしやってもあまり良い結果を生まないと思う。
慣れと手抜き
毎日見ていて、ほんと絵に描いたようなアルアルだなと思っているんだけど、最近は、あきらかに掃除の手を抜いている。見えるところだけサッとやって、「続けている」というだけの実績作り。
SNSも、別に毎日投稿しても人生変わるわけじゃないけど、なんか急に張り切っちゃって、毎日投稿しようなんてことはあるよね。(まあ、僕はいわゆる「毎日note」やってた。笑)
それは、150日ほど続けて、時間的余裕がなくて意図的にやめたんだけど、結果的には、続けても、やめても何も変わらない。
掃除はどうかな。
毎日やらなくなったら、部屋は汚れるかもしれない。
でも、毎日やったって、部屋の隅は永久に掃除されないのなら、そこだけみたら毎日やっていないのと同じだ。
ここで、もう一度、朝活掃除をやっている理由を振り返ってみたい。
「朝一に、心のリセットボタンを押す時間を作った」ってことね。
PCで喩えると、目に見えるアプリは閉じたんだけど、不要なキャッシュが残りまくりで、次の作業やっても重たくてだめって状態ね。
ちゃんと再起動しましょうってこと。
新習慣を身につけるときのメンタル
朝活みたいに、なにか新しく始めよう、そして続けようっていうときね。
完璧主義になりすぎて続かないって話はよくあるでしょ。
だから、手を抜いて毎日続ける方がいいっていうのはちょっと違うと思う。
それも悪くないと思うけど、手の抜き方は大事だ。
掃除で言うと、四角い部屋を丸く掃いて、はい終わりっていうのは、メンタル的に肥やしにならない。
それをやるなら、狭い場所でも良いから、きっちりしっかりのほうがいい。
そして、余裕が出来たら少しずつ範囲を広げる。または、毎日掃除する場所をずらす。
なんでかっていうと、手抜きで続けている習慣っていうのは、あまり良い精神状態じゃなくて、やめても変えても残るものが少ない。
でも、出来る範囲でも良いから、隅々まで真剣に掃除をしていると、頭の中を様々な思考がかけめるぐり、そのうちに、いつの間にか掃除に没頭していることがある。
これは、いわゆるマインドフルな状態で、心を育てるには非常によい瞑想状態に入っていると思うのだ。
実際にやるとわかるけど、15分も真剣に床を雑巾で磨いていたら、イライラしている気持ちを維持する方が難しい。
現代は、なんでも便利になりすぎて、ほとんどの悩みはテクノロジーで解決するようになった。
そうなると、最後にどうにもならないのは自分自身、とくに自分の心のコントロールというのは、今後の人類の大きな課題になるように思う。
「子どもにやらせる」なんていうのは、後から付いてくる話。
誰に見られるわけでもなく、自分自身のためにやる朝一の掃除。
これ、なかなか気分がいいので、ぜひ試してみて欲しい。
毎朝、すっげー楽しそうに親が掃除してたら、そのうち子ども達もやってみたくなる。
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