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民藝的デザイン展準備中・コンセプトの時代の次とは

2020年の年末にd47museumにて「LONG LIFE DESIGN 2  祈りのデザイン・民藝的な現代デザインたち」という企画を考え、準備しています。
予算のない、また、コロナな中での企画展は、その本気度が試されて臨むところです。

「民藝的」とか「民藝」とか書くと、途端に怯む人がいます。わかります。それほどに「民藝」は複雑化して、僕が思うには「良くない」のです。あんなに素晴らしい思想なのに、やたら「民藝思想」を頑なに守ろうとする人が多い。わかります。美しすぎますし、思想的にはとても深掘りしたいものを柳宗悦は書き残しました。

しかし、それを言う通り「ものづくり思想の美学」と言うのであれば、ある時代に停滞してしまっている今の現状は、間違っているとも言えます。誰も「民藝運動」を進化させようとしていない。

誤解のないよう書きますが、僕は民藝大好きな人ではありません。デザイン、ものの産み方の将来を考えていく時、その参考に「民藝思想」はとても素晴らしいと思うのです。例えば、それを端的にピックアップすると

「作為的ではない」
「宗教的な祈り、思い、願いがある」
「ある程度の量産から生まれる」
「美しい」

この4点が「民藝的なものづくり」と言えると思うのです。つまり、健やかな生活の中からでしか生まれないもの。例えば、心が澄んでいることで見えてきた形、色などを追ったもの。例えば、マスを狙い、消費経済優先な大量生産ではないもの。など。今、いいなと思うものって、こういう要素が含まれている。

1990年はまだ「マス」が人工的に作り上げた憧れに飛びついて、身の丈じゃない消費をしてしまう時代。
2000年は「顔の見える生産者」から物をやっぱり実感して買いたい時代。
2010年は「物理的に体に安全なもの」を世界基準を満たしたものの中から買いたいという時代。
そして、2020年は、具体的なことを受けて、そこに祈りや願いを込めて作られたものと、その生産者と含め、つながりながら購入する時代。

よく、デザイナーという人種は「コンセプト」と、数十年前は言っていました。「考え方」を示せば、それでものが作れました。でも、もうそんなものでは心は動かない。時代は「本当の実感」を経て、「健やかにつながり続ける生産者との関係」がある時代。そこには作られた「コンセプト」など、必要ないわけです。
コンセプトではなく、何か「エピソード」が欲しい。それがないものづくりには、心から入り込めない。

そんな物を47の日本から「直感」で集めた展覧会を準備しています。
今日は、北海道の選定した方からのお断りを。昨日は違う県からの「お断り」の連絡を頂き、もう「47都道府県」を東京が紹介する時代が終わっていることを痛感しました。

もう、47の日本たちは、東京を必要としなくとも、岐阜のギャラリーももぐさや、金沢のファクトリーズーマーのような「東京ではない」地方のギャラリーのスピート感と信憑性。もっと言ったら「心からそれを企画したいと思う人がそこに住んでいる」という状況の中での関係性の方が、かなり「リアル」なのでした。

もう、東京が地方をセレクトする時代は終わっていました。

つづく


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ロングセラー「ナガオカケンメイの考え」の続編として、未だ、怒り続けているデザイナー、ナガオカケンメイの日記です。

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