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音楽も映像も…基礎があってのセンス

映像を学び始めた学生たちから聞く言葉の一つに「センス」があります。
「私はセンスがないから無理」
「あの子はセンスがあるからいいわね」
などという声をよく聞きます。
しかし私は「センス」という言葉は、努力を放棄する宣言のように聞こえます。
野球に例えれば、まだキャッチボールもろくにやったことのない子が、「僕には野球のセンスがないから無理」「大谷はセンスがあるからいいな」と言っているのと同じように聞こえるのです。
センスというのは、長年の努力によって基礎的な力が身につき、一人前の力量がついてから、初めて問われるものだと思います。
これは映像制作に限らず、どんなクリエイティブにもあてはまることです。
今回はそんなお話をしたいと思います。


ピアノを習い始めた衝撃

私は最近新しいピアノの先生について、ピアノを習い始めました。

かつて高校生の時まで十年間ほど先生に師事していましたが、それから何十年も離れていました。
家に電子ピアノがあるので時々は弾いていましたが、完全に独学。
弾きたい曲を思うままに弾くだけでした。

4年ほど前に観た映画「グリーンブック」をきっかけに、再びピアノに向かうようになり、若い頃に弾いた曲よりも難度の高い曲に挑戦しました。
ショパンのソナタ3番4楽章。
煌びやかな曲の多いショパンの中でも、最も激しく輝かしい憧れの曲でした。
譜読みに半年かかりました。
ようやく完成した、と思えるまで、それから1年かかりました。
すると欲が出てきます。
もっとうまく弾いてみたい。
と同時に、誰かに聴いてもらいたい。

そして縁あって、新しい先生に巡り合い、先日から通い始めたのです。
先生は、私とは親子ほどの歳の差がある若い人で、ドイツに音楽留学していた筋金入りのピアニストです。
さっそくソナタを聴いてもらうことにしました。

少し緊張しながら、鍵盤を叩きます。
曲が進むにつれて、自分では調子よく弾けているつもりになってきました。
自分なりの音楽性がどこまでプロに通用するのか、楽しみでもありました。
自己流にテンポを揺らしながら、気持ちよく最後のコーダを弾き終えました。

先生は、一通り聴き終わると、少し間を置いて口を開きました。
「まず椅子の高さと座り方なんですけどね・・・」
椅子が少し高すぎる。そのため肘の角度が悪く、指に力が入りにくくなる。
これでは良い音が出ない、というわけです。
続いて、肘の使い方、指先の置き方について、指示が飛びます。
曲の完成度とか、音楽性とか、センスとか、そういう次元の話ではありません。
まず音を出すための座り方と姿勢がなっていない、というわけです。
続いて先生は、楽譜を一小節一小節かみ砕くように読みながら、アクセントの位置、クレッシェンドの位置、スラーの位置を確認していきます。
自己流で、音の強弱やテンポを変えるのではなく、まずは基本に忠実に、楽譜通りに音を出すこと。
自分のセンスや解釈などは、それらの基本ができてからの話だ、ということです。
自分では完成度の高い出来だと思っていたショパンのソナタは、実はキャッチボールすらろくにできない少年野球のレベルだったのです。

芸術もクリエイティブも、基礎がなければセンスはない

同僚の先生の中に、芸術畑のクリエイターの先生がいます。
その先生もよくこう言います。
「芸術と言えば、センスがあるとかないとか、そういう基準で考える人がいるが、大間違いだ。芸術系の学校では、朝から晩までひたすら紙に鉛筆で線を引くだけのレッスンもやる。少しずつ少しずつ濃さを変えながら。そうして自由自在に濃さをコントロールできるようになって、初めてまともなデッサンができるようになる。センスだ何だという段階は、その後の後の後だ」

難解で独特な絵で知られる、かのピカソも、数多くのデッサンを残しています。
基本があって初めて自分なりのオリジナリティが効いてくるのであって、絵の基本ができていない人がそれを真似しても、単なる「落書き」にしかなりません。

映像制作にも同じことが言えると思います。
最近、スマホでも便利な編集アプリが出ていて、何の変哲もない静止画や動画であっても、色や形を自在に変えて、派手なトランジションやテロップをつけることで、一見「すごい」動画が簡単にできるようになりました。
そして、テロップのフォントの選び方やトランジションの選び方で「編集のセンスがある」とか「ない」とか言うのです。
もしセンスがあるとすれば、そのフォントをデザインした人の方ではないかと、私は思うのですが・・・。

テロップの選択などにやたらとこだわる人に限って、インサートカットの使い方や、サイズの使いわけ、イマジナリーラインなど、編集の基本として知っておかなくてはならないテクニックについては無知だったりします。
撮影の時にも、サイズやアングルに対して無頓着だったり、フィックスで撮ることができていなかったり、見せたいものや動きがきちんと撮れていなかったりします。

映像制作には、学ばなくてはならない多くの「基本」があります。
それらの基本に忠実に、企画し構成し撮影し編集できるようになることが、ファーストステップです。
それができる力がついた上で、はじめて自分なりに型を崩してオリジナリティを加味しても、作品として成り立つわけです。

映像を初めて学ぶ人には、最初から我流を通さずに、まずはきちんと「人に伝わる表現法」を学んでもらいたいと思います。





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