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モダリテイ大国ニッポン

日本語は、曖昧で間接的な表現が多いと、しばしば言われます。
それはモダリティという要素が多いことが、背景にあります。
日本語におけるモダリティとは、どのようなものでしょうか。 


日本語の文章は、基本的な事実を叙述する「命題」と、話し手の主観を陳述する「モダリティ」の組み合わせでできていると言います。

例えば「彼はきっとこの試合に勝つだろう」という文章では、「彼はこの試合に勝つ」が命題で「きっと」「だろう」の部分がモダリティというわけです。モダリティには様々な種類がありますが、この場合は「推量のモダリティ」であると言えます。

モダリティの分析については、様々な研究がありますが、一番大きな括りとしては、話し手がどのように捉えるのかを表す「対事的モダリティ」と、聴き手にどう働きかけるかを表す「対人的モダリティ」に分類され、そこから細分化されます。

対事的モダリティは、次のような例文に表れます。

明日は晴れると思う。(非断定)

明日は晴れるかもしれない。(可能性)

明日は晴れるはずだ。(確信)

明日は晴れるようだ。(推量)

明日は晴れるのだ。(説明)

いずれの文においても、「明日は晴れる」が命題で、「と思う」「かもしれない」「ようだ」などがモダリティのパートになります。

また対人的モダリティは、以下のような種類があります。

プリンを食べてみませんか。(勧誘)

プリンを食べてください。(依頼)

プリンを食べなさい。(命令)

プリンを食べてもいい。(許可)

プリンを食べてはいけない。(命令)

プリンを食べますか。(質問)

プリンを食べるべきだ。(当然)

プリンを食べなければならない。(義務)

プリンを食べるだろう。(非断定)

プリンを食べるよね。(同意・確認)

この場合も、「プリンを食べる」が命題となり、「みませんか」「ください」「てもいい」「よね」などがモダリティです。いずれも話す相手に対して話し手が働きかけていく表現です。

これらは細かく分析すると、日本語にいかに多様なモダリティが使われているかが分かります。

例えば、「だろう」は、「推量」を表すモダリティと解釈できます。例えば、「彼はこの試合に勝つだろう」は、彼がこの試合に勝つ可能性が80%くらいはあるだろう、という話し手の推測を表しています。

ところが同じ「だろう」を使った似たような文章でも「君は、彼がこの試合に勝つと思っているだろう」は、推量ではありません。この「だろう」は、「確認欲求」の「だろう」です。

私が推測するに君はきっと80%の可能性で彼が勝つと思っているはずだ、という意味ではなく、君は彼が勝つと思っているに違いない、そうだろう?と確認をしているわけです。

また、同じ「推測」を表す「だろう」でも、副詞との組み合わせによって異なる可能性を表現することができます。

「彼はこの試合にきっと勝つだろう」・・・80%以上

「彼はこの試合におそらく勝つだろう」・・・70%程度

「彼はこの試合にたぶん勝つだろう」・・・60%程度。

といったところでしょうか。



ところで英語にもモダリティの表現はありますよね。

It must be true.(それは本当に違いない) の mustや、You may eat this bread.(このパンを食べてもいいよ) の mayなどはそれに当たります。

しかし英語に比べて、日本語はモダリティの部分を非常に複雑に話す傾向にあると思います。

「もしかしたら、彼はこの試合に勝つ可能性があると言えなくもないと思います」

日常会話ではあり得る表現ですが、この文の中で「もしかしたら」「可能性がある」「と言えなくもない」「と思います」と、モダリティの表現を重ねに重ねています。

これは断定を避けた婉曲的な表現で話すことで、自分の意思を押し付ける印象を与えることを避け、自分の社会的ポジションを守ろうとする日本人の感覚が表れています。

英語にしてみましょう。

I think you can say it is possible that he will probably win this game.

多分、何がいいたいのか分からない!と詰られそうな文ですね。

日本語はモダリティの高度な組み合わせ方で成り立つ言語かもしれない、と言えなくもない、と思わずにはいられません。笑

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