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○○しないように頑張るの罠

こんにちは。
世の中の大半は逆説でできている
と思うながねこです。

私の周りには散らかる人が多くて
整理整頓できて素晴らしいね
・できないし散らかる自分嫌い

という人が多いです。

みなさま自分のことを思いっきり責めています。

私も人のことは言えません。
しかしながらその自己否定は散らかる解決方法になるのか?
自分がかわいそうだと思いました。

「部屋が散らかる」に焦点を当てて物事の組み立て方を解剖してみます。

部屋が散らかった=部屋を散らかした
というのが真実と思っている人実に多くないでしょうか?
(私はここに大変違和感を覚えます)

生きて生活した結果が散らかったので、散らかしたわけじゃないと思うんですが、なぜか自分が散らかしたと自分を思いっきり叱る人が多いです。

発想としては
一生懸命生活した結果、散らかった
ので生活した証です。
散らかしてないと私は思います。

散らかった部屋を見てへこむ自分はどうしたらいいのか?
だから散らかした自分は嫌いだ

といえばもっともらしく聞こえます。

散らかったら戻ればいいのですよね?
散らかった経緯に着目したのでしょうか?

という事でそんな簡単なこと記事にするなという話ですが、

散らからない方法としましては

散らかった後にどうやって散らかったのか検証して自分を把握して
そして最低限の散らかしになった

と私はよく思います。
散らかしたのは悪くないのです。

具体的対策を私の生活とともに散らかるルーティンをお伝えします。

・洗い物が嫌いで洗い物が残っている
・おつまみのチーズの小分けビニールがテーブルの上に散乱している
・取り込んだ洗濯をしまわない(干したら達成感に満ちている)
・飲み終わったペットボトルを分別しようとしてその辺に置いてある

でした。
つまり面倒くさがりという話ですね。
こう書くとどうしたらいいかわかりやすく思いますが

・食洗器を置く、すぐに洗う
・その場で畳め
・ゴミ箱を設置する、溜めない

という結果になりますね。
自分の性格が嫌いな人は見たくない事実ですが、実際に起きた内容もそのようであると思います。

この本で散らかした自分を責めるなと教わりました↓

努力をしたが結果が付いてこなかった

努力の方向性が違う
努力してない
とアドバイスもらったことはないでしょうか?
するととても責めてしまいがちです。

やらかしたから次にやらかさないようにしよう
というのはできるのでしょうか?
結局委縮して起きてしまいます。

それはなぜか?
自分に対する自己否定が起きているからです。

自分に優しく自堕落を受け入れる会でした。

先日警察に捕まり、配達業の生命線が怪しいです。
ノーターとして応援お願いします。
(反省して配達は続けますのでそんなにお願いしてないです)

この記事をなぜ書いたか…
恥ずかしながら上記のように、交通違反でへこみました。
交通違反しない可能性のほうがない事に気づきとても慌てふためきました。
(違反するなではぬるいという事です)
そしてあっと驚く助言がやってきました。
「警察がいるところに行かなければいい」です。
(雷が走るほどの革命的助言でした)
上記の逆説論がそういえばとおりてきました。

自己否定ではなく逃げる方法に乗っかるのも時には吉である話でした。


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