127:メタ認知能力の必要性
・メタ認知能力の高い人は有能だ・生きやすい、などとのたまい、メタ思考をしていきましょうといった趣旨の内容を啓発する本やYouTube動画が世の中には蔓延っている。
・本当にそうなのだろうか。自分の状況が認知できることは、その人をより苦しくしている気がする。
・メタ的に物事を見る思考特性というのは、自分の置かれている環境を客観的に見てしまった時、その上で主観的に日常生活を送らなければいけない自分のことを考えると不幸の度合いを上げている。
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・ひとつ前の記事では自分の数年前から掲げている、この世で最も誇り高く誰もが崇拝すべき持論「奴隷人間積み木理論」の補足をしたが、正直まぁ与えられた環境下で満足できるのであれば、それに越したことはないよなと思う。
・その環境の上位存在であるメタを認知しないのであれば、それが一番良い。
・わかりやすいのはマイルドヤンキーという言葉。
・地方に生息し、工事現場などを生業にしながら驚安の殿堂ドン・キホーテなどで安物の購買行動をし、それでも家庭を持って幸せに生きる。
・彼らはそれより上の年収でできる生活を知らないから、その程度の生活を幸せに感じると揶揄する概念があると思うが、それが彼らにとっての幸せならそれで良い気がする。
・なお予防線を張るが、自分はホワイトワーカーも含め労働者は全て同じ穴の狢だと思っているので、別に彼らを馬鹿にはしていない。
・というか自分は田舎出身だし、多分東京のお方からすればマイルドヤンキー思考は比較するとまだ強い方だろう。
・自分にとってのメタ的な生活とは「社会人でいること」の上位存在であり、社会人とは会社員のみならずフリーランスなどの何かしらに雇用されずに働いている人も内包している。
・社会人とはすべからく労働者だと思っているし、労働者は奴隷だ。
・だから、奴隷であるという客観的な事実を自覚しながら労働をするという主観的な生活に苦しみを覚えている。
・生きやすくなるためにはメタ認知した上でそれ以上に必要な能力はいくつもあるし、その能力が持てないのであればメタ認知は必要ない。
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・自分は雇用されているか・されていないかという軸で世の中を見ていない。
・生産者側か・消費者側かといった軸で見ている。
・自分の世界感を、自分の力だけで放出することでなにかを生み出せる、創作者にならなくてはならない。
・そうでないと、人生を送る意味がない。
・そんなこと別に考えたくて考えるようになったわけではない。
・普通に社会人として生きていけるのであれば、そうありたかった。
・死なないために生きる理由を探しただけだ。
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