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099:「死」について

・自分には若干の希死念慮があった。

・積極的に死にたいわけではないし、「死ぬ」ということ自体は痛そうで怖いので、生きてはいたい。
・ただ、自分が死んだところで別に何も起きないな、とは常々思っている。

・今でこそ創作活動に励んでいるが、それは生きる理由探しを何年も続けてようやく見つけることができた答えだからだ。
・見つからなかったら、どうなっていただろう。

***


・なお今から記すことは、死者を冒涜していると糾弾されても何も言い返すことができない内容となる。
・それは重々承知の上、綴る。


・2~3年くらい前だろうか、母方の祖父母が二人とも立て続けに死んだ。
・片一方の葬式には行ったが、もう片方の葬式は都合が合わず行っていない。
・どちらのお墓参りにも一回も行っていない。

・なんというか、訃報を聞いても何も感じなかった。

***

・祖父母と仲が悪かったかと言われると、別にそんなことは全くない。
・地元にいる頃は数年間一緒に暮らしていたし、地元を離れてからも帰省した時には毎回会っていた。
・孫として多分可愛がられていたし、自分も可愛がってくれる祖父母が好きだったと思う。

・そのはずだが、不思議と訃報はそこまで悲しくなかった。
・それは、その頃の自分は祖父母と関わることが全くなかったからだと思う。

・正直な感情を吐露すると、祖父母と暮らさなくなって約9年、コロナ禍もあり会わなくなって約2年、もはや他人となっていた祖父母の訃報は自分にとって、急いで帰省しなければならないという若干の面倒臭さを引き起こすものだった。
・燃やされて骨となった祖父を箸で集めた時には少しの悲しさはあったが、それは祖父だからというよりはそれまでそこにあった生が完全に消滅されたことによる諸行無常の一部を感じたからに過ぎないような気がしている。

・その時の自分の生活の中にはとっくに祖父母はいなかったので、この世から祖父母がいなくなっても自分の生活に変化がなかったのだ。

***

・実は以前タイに仕事で行ったとき交通事故に逢いかけて、並行世界があるとしたらどこかの世界線の自分は死んだのだろうな、という体験をしたことがあった。
・小さな傷だがその時負った怪我の跡は半年くらい経った今でも残っている。肉が抉れてしまった。

・だがその時の自分は、「タイで死んだらウケるな」と思ってその出来事が終わったすぐ後にTwitterを開き「死にかけてワロタ」と呟いた。
・それは自分でも本当にアホかと思う感性ではあるが、実際そんな場面に遭遇して最初にした行動がそんなしょうもないことであるのは事実だった。

・今の自分は上京しているので家族とは離れて一人暮らしをしているし、恋人などもいないので自分がいなくなったところで特に誰の生活にも影響を与えない。

・誰か自分以外の人の当たり前の生活の中に、自分がいる実感が全くない。
・仮に自分が死んで、悲しんでくれる人がいたとしても、その悲しんでくれる尊い人の生活軸が変わるほどの出来事かというとそうでもないだろうし、時間が経てばその悲しみは薄まることだろう。

・今までの人生で、小学校・高校と2人の友人の訃報を聞いたことがあったが、悲しいことにそこまで衝撃はなかった。

・そのように考えていると、生きる理由がなければ別に死んでも良いか、と思ってしまうのである。
・親しき友人などにはそのように考えるのは良くないと言われるし、そんな考えはその友人に対する無礼であり怒られても仕方のないことであることも理解している。

・それでも、自分が死ぬことはこの広い地球の中で、たった一つの生命活動が停止する以上の意味は果たしてあるのだろうか、という疑問を晴らすことは今のところできていない。

***

・死なないために、生きるために、創作活動をしている。

・人生は自分の世界観、情熱をこの世に解き放ち、生きた証を遺してこそ、意味が生まれる。
・そう思うことでしか、自分の生きる理由は見出せなかった。

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