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140:家出|人生#009

・毎日の鬱備忘録を生み出す思考回路の原体験。
・前回。


・中学よりはマシになった高校生活。
・とは言え、中学時代心に入ったヒビの修復には、時間を要した。

・修復過程で起きた、自分の中で最も思い出したくない、胸糞悪い記憶の話。

***

・高校に入ってから、運動部には入らないことに決めていた自分は、地学部・新聞部・生物部に入った。
・10年やってきたサッカーで、もうスポーツ競技自体が嫌いだった。

・地学部はなんとなく。新聞部は、先輩に誘われて。生物部も、クラスの友人に誘われて。
・新聞部と生物部は人数の問題で廃部寸前だったので、自分が入ることで続くならと思い入った。
・自分も暇だったし、何より人数が少ないから自分たちで部活動の内容を決めるのが楽しそうだった。自分含めて新聞部は3人、生物部は2人だった。

・新聞部と生物部の活動は本当に楽しかった。
・それはまたどこかで綴れたら。ちなみに余談だが、生物部で自分を引っ張ってくれた友人は、今は環境保全みたいな分野でそこそこ著名な活動家である。
・あの頃は自分が阿呆で気づかなかったが、今振り返るとあの頃から彼の世界はとても広かったのだろうな。

・3つの部活動には入ったものの、特段毎日やるべきことはなかったので、普段は暇だった。
・だから、基本毎日最終下校時刻までずっと勉強していた。本を読んだりしている時もあった。

・最初はギリギリの成績で入学したが、最終的には学年では280人中10番くらいまでをキープできるくらいの成績になった。
・勉強というのは時間をかければある程度はできるようになるものである。

・また、地学部でできたある一人の友人と遊ぶことも多かった。

***

・その友人は、ロボット系のゲームや、プラモデルが好きだった。
・プラモデルというところに留まらず、なにか組み立てる系の作業が好きだったような気がしている。具体例が思いつかないが。

・前提の共有として彼のもう少し詳細なパーソナリティを紹介したいのだが、あまり覚えていない。

・自分もオタク気質で、彼もオタクだったので趣味として被る部分がいくつかあり、結構頻繁に遊んだ。
・駅のロータリーなどで駄弁ったりすることもあれば彼の家まで遊びに行ったり、時には地学部の人も入れてカラオケや大型商業施設に行ったりなどといった時間もあった。
・男女数人で夏祭りに行くとかいう青春も送った。

・高校生前半は、彼と過ごす時間が多かった。

***

・自分の入っていた地学部とは名ばかりで、どちらかというと天文部のような形で夜に星を見る、みたいな時間もあることにはあったが、それも多くなかった。
・年に一度の文化祭の時だけ、教室の中にプラネタリウムを作るというのをやっていた。
・段ボールを黒塗りし、星座の形で星の箇所に穴をあけて発光ダイオードを指し、それを飾るというものであった。

・それだけが活動内容の部活であった。

・そんな部活であるので地学部の活動自体に熱心な人間などいるはずもなかった。
・自分が2年生に上がるときは同学年から部長を申し出る者などおらず、逆に自分は地学部というよりは「部長」をやってみたかったので手を挙げたらすんなり部長になった。

・晴れて地学部の部長となった自分は、年一の文化祭での出し物に向けて、例年より盛り上がるものにしたいと思っていたのでその準備に向けて積極的に取り掛かることにした。

・同じく地学部に入っていた、前述の友人もそのことには乗り気で「それだったら俺は組み立てる系のことは好きだから、教室の内装とかその部分は任せてくれ」的なことを言ってきた。確か。
・その頃の自分は彼を信頼していたので、その分野は彼に一任することにし、自分はそれ以外の部分、例えばプラネタリウム内で解説のナレーションを流そうだとかの企画内容を考えることや、告知活動だとかに勤しんだ。

・誰しもが思うことだと思うが、自分の代を一番盛り上げたかった。
・視野がそこ一点のみに絞られていた。

***

・文化祭に向けてかなり早い段階から動いていたはずだが、内装にかかわるところの進捗は一向に現れなかった。
・いよいよ準備も間に合わなくなるだろうな、みたいな時期に差し掛かってからもそんな調子だったので、その作業を任せたはずの彼を一度詰めた。

・彼の怠惰な性分も知っていたので、ケツを叩かねばと思い喝を入れた。
・別に同級生に対してそんなことしたくはなかったのだが、その頃の自分は曲がった人間が嫌いであり、特に自分の発言に責任を持たぬ者が何より嫌いだったので、詰めた。

・うじうじよくわからないことを呻き、わかったわかったよ、みたいなことを言われた気がする。
・その歯切れの悪い振る舞いにもイラっとしたが、とりあえず彼に任せることにした。

・翌週くらいだっただろうか、彼は自分の悪口を言うためだけのLINEグループを地学部の部員で作っていた。
・ちなみに自分はその頃周りがスマートフォンを持つ中ガラケーであり、LINEもやっていなかった。

・そのグループに招待された女子が、「昨日こんなグループが作られてたんだけど…」みたいな形で教えてくれた。
・残念ながら、周りからの彼への信用度はあまり高くなかったようである。

・とは言え、学校に行くのが嫌になった。

***

・それと同じくらいの時期、家庭においても不和が生じていた。

・自分が高校生となってからは母が職に就き金銭に余裕が生まれたので、祖父母宅をお暇し狭い部屋であったが母と兄の3人で暮らしていた。
・その頃の自分は、普通の家庭としての人生を歩ませてくれないことがすごく嫌だったので、その中でなんとなく正常な生活を送っているように見える母と兄が気に食わなかった。

・ただの反抗期なのか、自分の環境が故の感情なのかはわからないが、家にいる時間がかなり嫌いだった。
・昔は兄のことが好きだったはずだが、自分が勉強なり部活(と呼べるかは怪しいが)なりに精を出す中ひたすらゲームに誘ってくるのが、足を引っ張られるような感覚で嫌だった。

・お前はいつまで弟と遊んどんねん、と思っていた。
・自分が小さい頃から兄は自分とよく遊んでくれていたのだが、「自分が好きだった兄」と同じくらいの年齢に自分がなった時、ここまで弟と遊ぶ時間普通あるか?(もっと友達とかと遊びに行ってるよな?)となり、そう思ってからは大きかった兄の存在が小さく見えるようになってしまった。

・母は被害者ではあるが、この環境を作った一端ではあるので、離婚するにしてももう少ししっかりした状態でやれよ、とか思ったりしていた。

・常に悶々とした感情を抱えながら生きていた。

***

・学校でLINEグループの一件があった日の帰り、家に帰ると兄か母に怒られた気がする。
・日中のことでかなりイライラしていたので、多分横柄な態度を家でも取っていたのだろう。
・母に何かを注意され、兄にはあまり母に負担をかけるな、みたいなことを言われた。

・いろんな気力が失われていくのを感じる中、四畳半程度の自分の部屋に籠った。
・引き戸だったこともあり、家の中での防音性は皆無の部屋だった。

・部屋の中でイライラしながら漫画か何かを読んでいたら、母と兄が「今度回転寿司でも食いに行こう」と楽しそうに会話しているのが聞こえた。

・彼らは家族で、自分は何なのだろうな、と思った。

・そう思った瞬間、学校でも家でも自分の存在意義がわからなくなった。
・急に血の気が引いて頭痛が酷くなり、視界がぐにゃりと歪んでいって、わけもわからず嘔吐し、何もかもがわからなくなった。

・家出した。
・その後一週間くらい、学校にも行かなかった。


・次回

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