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120:夜逃げ後の日常|人生#007

・前回


・久留米で転入した中学校の記憶は、自分の人生の中で最も薄い。
・中学2年生〜卒業にかけては暗黒期だった、とはっきり言うことができる。

***

・夜逃げやその後の後処理などが終わってから数日間はただ過ぎる日々をなんの感情もなく過ごしていた。
・家族で市役所などに転入届を出したり、通うべき中学へ転入手続きを済ませたりした。

・どの手続きにおいても母は呆然としていたため、兄と協力しながら子どもなりになんとか諸々の手続きを済ませた。
・母は「あの頃はアンタらがしっかりしていたから助かった」と振り返っている。
・新しい中学での転入手続きの場では「しっかりしているな」と転入先の先生から言われた。

・しっかりしていない。やらざるを得なかっただけだ。

・ちなみに、夜逃げしてから1年後くらいに親は正式に離婚した。
・そのあたりは詳しく知らない。

・母の配慮により、名字は変わらなかった。

***

・転入先の中学校はかなり治安が悪かった。
・金髪やロン毛の生徒が多く在籍しており、煙草のぼや騒ぎで職員の目の届きにくいトイレの使用が禁止になったり、他校の学生が乗り込んできたりしていた。

・何もしないのも暇になるかと思いサッカー部に入ったが、そのサッカー部の部室も生徒の喫煙所となっていたため、使用禁止であった。
・着替えなどは外で済まさなければならなかった。

・そんなサッカー部でも地区内ではそこそこの強豪校だったので、弱小校のぬるま湯に浸かっていた自分は全くついていけなくなった。
・井の中の蛙が大海を知ってしまった。本当にストレスだった。惰性で続けることなどせず、転校のタイミングてやめておけば良かった。

***

・そんな環境下、家に帰っても家庭はどんよりとした空気を常に纏っていたので、生きている心地があまりしなかった。
・浪人生だった兄も、兄としての使命感からか強がっており、そこそこ頼りがいがあるかのように見せかけていたが、家族が寝静まったあとは誰に向かうわけでもなく何かしらの暴言を吐いていた。

・祖父母宅の部屋は少なかったため、僕は兄と同じ部屋で寝ていた。
・普段気張っている様子の兄とは大きく異なる夜中の暴言が怖くて、その声が耳に入ってきてもずっと寝たフリをしていた。
・この頃から不眠症になった。入眠するという動作を徐々に忘れていった。

・まぁこの頃の兄も19歳の少年だったことを考えると、仕方がないと思う。
・ただでさえ浪人していたのだから、その上で家族を引っ張っていかなければいけない使命感を背負っていた兄のストレスは、計り知れない。

***

・転校してからは、中学をサボることが増えた。
・世間体を気にしていた母からの要望で片親であることは周りに話していなかったし(この頃の田舎はそういう家庭を煙たがる風潮が強かったので、隠さなければいけなかったことに疑問は抱いていない。)、授業中も不良たちが教室の後方で野球をしているなど崩壊している学校だったので、人間関係を構築するのが難しかったしそのやる気も出なかった。
・蚊帳の外にいたかった。ので、学校に行きたくない日が多かった。

・サボってよくブックオフに行っていた。
・漫画やライトノベルをたくさん読んだ。物語の中で夢想することが、この頃の唯一の楽しみだった。
・小遣いはなかったので、立ち読みしていた。

・中学での学校生活はよく覚えていないが、唯一、転入して数ヶ月後にあった修学旅行の行先が京都であったことは鮮明に覚えている。
・その時いった金閣寺や三十三間堂の情景だけは脳裏に焼き付いている。
・自分の中で初めての京都との出会いだった。いつかまた行きたい、と思った。

***

・もちろん、ピアノはとっくにやめていた。続ける環境がなかった。
・親が必死に敷いたレールが見事に壊れたので、夢を失った僕は、今後どう生きていけばよく分からなかった。
・仮に親に作られたものだったとしても、将来の夢は自分の行動原理の根底にあったことに気づいた。

・過ぎ行く日々がセピア色になった。

***

・中学を卒業する時、周りの人の多くは友と会えなくなる悲しみで泣いていた。
・思い出に浸っている者ばかりだった。

・卒業式の日、中学生活で僕は何をしていたのだろうか、と思案したことを覚えている。
・全く楽しくない中学生活だった。1人だけ、周りから取り残されている気分だった。

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