見出し画像

110:離婚・転校・自殺未遂|人生#006

・前回


・14歳から15歳にかけての記憶は少し曖昧だ。時系列が微妙に異なるかもしれない。
・その中で今回は、夜逃げ後の後処理の話。

***

・タクシーや新幹線を駆使しそこそこの荷物を持ちながら無事夜逃げ(朝逃げ?)を果たした僕らは、その頃住んでいた北九州から母の実家のある久留米まで来た。
・あの頃は世紀の大移動のような錯覚を受けていたが、今考えたら大した移動距離じゃないな。
・母はパートなどはやりつつも専業主婦に近い形で生活をしていたため先立つものがなく、しばらくは祖父母の家でお世話になることとなった。

・とりあえず持ってきた、今までのお年玉などで貯金していた自分の雀の涙ほどの蓄えを全部母にあげたという記憶だけ残っている。
・それが14歳の誕生日だった。

・また母の兄である叔父夫婦にも助けてもらうことになっていた。詳しいことはあまりわかっていない。

***

・確か母方の祖父母の家に来てから一週間後くらい、父が家を訪ねてきた。
・叔父が対応し、僕たちが父に会うことはなかった。
・叔父は父になにやら説教をしていた。

・余談だが、叔父も不倫をしていたらしく隠し子までいたことがその1~2年後に発覚した。僕たちには顔も名前も知らない、血だけ繋がっている従弟がいるらしい。
・どんな面持ちで、父に何を説いていたのだろう。

・その出来事からもう少し経った頃、とりあえずの荷物は持ってきていたもののもう少し家財道具が必要だったので、叔父夫婦の計らいのもと父が仕事に行って家にはいないであろう時間帯を狙い、もう一度もともと住んでいた北九州の家まで行くことになった。
・僕の中学の転校手続きも済ませなければならなかった。

***

・車が好きだという叔母の運転のもと、叔父夫婦+僕たちの家族で北九州まで戻って来た。
・家に着く前くらいの時、もはやPTSDに近い感覚になっていたのか、母は車の中で過呼吸を起こし気を失った。

・しょうがないので家財道具は僕と兄で分担して選定し、運搬や父が家に来ないかの監視などは叔父夫婦に手伝ってもらった。

・また転校手続きを済ませるべく、途中から家財道具に関することは兄に任せ僕は叔父と共に中学に向かった。
・事前に電話で担任に説明をしていたので、手続き自体はスムーズに済んだ。担任はわざわざ受け持っていた授業を他の先生に任せ、僕との時間を作ってくれていた。

・面会室のような部屋へ行くと、担任は親切にも僕が中学に置いていた荷物をまとめてくれていた。朝の読書の時間に読んでいた、美少女萌えイラストが表紙にデカデカと載っているライトノベルが机の上に堂々と鎮座していたので、少し恥ずかしかった。(『ベン・トー』の2巻。)
・優しかった担任は今後の僕の人生を慮ってくれるような言葉をかけてくれた気もするが、あまり覚えていない。

・事情が説明しにくいのもあり、クラスでの転校の挨拶などは何もせず担任との面談・転校手続きがその中学での最後の時間となった。
・その中学校での友人たちの縁はぬるっとすべて切れた。

・おまけだが、それまで手紙でやり取りしていた小学校の頃の友人らにも事情が説明しにくかったので、彼らとの縁もなくなった。

・その日は曇り空だった気がする。

***

・家財道具をある程度持ち帰ってから何日か経ったころ、なぜそうなったのか全く覚えていないが、僕は父も含めた家族で父の実家のある熊本県八代市に来ていた。
・確か家族で話し合いの場を設けよう、みたいなものが経緯だった気もするが、本当になぜ・どのようにして八代まで行ったのか覚えていない。

・途中、僕だけ別室に呼び出され、父方の祖父母と僕の3人で話す時間があった。
・父方の祖父母からは、僕たちが夜逃げしてからの父の様子みたいなものを聞かされた。

・重度のうつ病だった父は病院に一時的に入院することになったということ。
・その入院生活の中で飛び降り自殺をしようとしたとのこと。
・そんな状態の父を放っておいて、お前の母親は何をしているんだということ。

・その中で父方の祖父母は僕に向かい「あんたはあんたの母親や兄貴とは違って、賢い子だ。きちんと自分の立ち位置がわかっている。今後あんたがきちんとした人生を送っていくためには金も必要になる。母親の息子ではなく、父親の息子として生きなさい」といったことを話してきた。

・なんでももう元の形には戻れないことを悟った父は、せめて僕をせがれとしたかったらしい。
・ので、僕を父方の家に引き込もうという算段だったようだ。父は祖父母に、よく僕のことを話していたのだと。

・知らんがな、と思い「考えておきます」とだけ残して久留米に帰った。

***

・父が自分勝手だとか、母もヒステリックだとかはあんまり思わなかった。
・今でも母と兄は父を極悪非道人のように扱っているが、別にどうでも良い。
・男女のもつれに巻き込まないでくれ程度にしか思っていない。

・思えばこの頃くらいから「家族」を「帰属意識を持つべきもの」ではなく「ただの一コミュニティ」として認識していたような気がする。

***

・熊本に行った日の翌日、生きるのが面倒くさくなったので、練炭を買おうと思いホームセンターに行った。
・行ってから、自分の小遣いは全部母にあげたことを思い出し、また密室となりうる場所も思いつかなかったので諦めた。

・さすがに「生きる面倒くささ」よりも「死ぬという行為の怖さ」の方がデカかったな、と思った。

この記事が参加している募集

#自己紹介

230,124件

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?