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4 課題の分離

岸見一郎さんの『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』を参考に、アドラー心理学を生かして教師としての在り方を見直そうとするためのnoteです。

前回は「対等な関係」という視点から教師の在り方を見直すための記事を書きました。

今回は「課題の分離」というアドラー心理学において大切な考え方をどのように教師としての在り方に適用するのかを書いてみようと思います。

課題の分離とは

本書の中に「馬を水辺に連れて行くことはできても水を飲ませることはできない」という言葉が紹介されています。ここにはあなたが誰かに機会を提供しても、その人がその機会を活用するかどうかはその人次第だという意味があります。例えば、人気で面白い本を友人に紹介したとします。あなたは全力で友人にその本の面白さを語り、最後にその本を貸すことにしました。そこまではあなたにできることです。しかし、その先で友人がその本を読むかどうかは友人次第であり、無理矢理その本を読ませたり代わりに本を読んだりすることはできません。そのように、可能な援助はするけれど、その先の行動へと踏み出すかどうかは相手次第であるということです。

今の例は本を読むかどうかという、正直どちらでも良い内容でしたが、その内容が”課題”に変わると一気に問題は難しくなります。例えば、水が怖くて泳げない我が子に対してどのようにアプローチをするのかという例で考えてみましょう。「水への恐怖を克服し、泳げるようになる」という課題は我が子自身の課題であり、親の課題ではありません。我が子がその課題をクリアできるように必要な援助をすること、例えば「お風呂で顔をつける練習をする提案をする」とか「スイミングスクールの紹介をする」などが考えられます。そのように必要な援助をすることは親の課題です。

我が子の課題と親の課題

もし、親が無理矢理スイミングスクールに通わせたり、「なんでそんなことできないんだ!」と叱責したりすることは、我が子の課題に対して介入してしまっている状況になります。ここは捉え方が難しいところで、「親が我が子のために厳しく接して、将来のためにできるようにしてやることは当然だ」と考えがちです。しかしアドラー心理学では、その課題の最終的な責任を誰が負うのかということを真っ先に考え、他者の課題には介入しないということを大切にします。もちろん先述したように必要な援助をすることは惜しみません。例で考えると「水への恐怖を克服し、泳げるようになること」の課題の責任を負うのは我が子であり親ではありません。なので、そこへ親が介入はしないことになります。そして実はもう一つ親の課題があります。それは「我が子が泳げないことに対してどのように思うか」です。我が子が泳げないという状況にどのように向き合って、必要な援助を考えることがここでの親の課題ということになります。

まずは課題を分離すること、そして他者の課題には介入しない。そして自分の課題には介入させないということも大切になります。

クラスの子どもとの関わりにおける課題の分離

さて、50m走のタイムを計測する時間です。一人の子が「そんなことやりたくない」と言い出しました。教師であるあなたはどのように対応するでしょうか。ここでも課題の分離を真っ先に考えます。50m走のタイムを計測するかどうかは子どもの課題であり、それに対してどのように捉えてどのような援助をするのかは教師の課題と捉えることができます。

子どもの課題と教師の課題

ここで「みんなやっているんだからやりなさい」と強制してしまうのは、子どもの課題に対して教師が介入してしまっていることになります。50m走のタイムを計測するかどうかについて最終的に責任を負うのは子どもなので、ここで介入せずに、必要な援助を考えることが教師の課題となります。他にも「宿題をやるかどうか」などの場合で考えてみてもよいでしょう。

一方で気をつけなければいけないのは、他の子どもに迷惑をかけてしまっている場合です。例えば「給食当番をしない」という状況は、他の当番の子どもに迷惑がかかっているので、別のアプローチの仕方を考える必要があるでしょう。この状況で「これは彼の課題だから…」という見方をすると、クラスの人間関係は良くない方向へと向かっていくと考えます(ここは永井の考えです)。

教員との関係における課題の分離

教職員の関係についても考えてみます。例えば、授業をみた先輩教員が後輩教員に対して、強い口調で「あのやり方は間違っている。」とか「子どもがかわいそう。」と叱責される場面があったとします。授業について振り返って改善していくという課題はもちろん後輩教員にあります。一方で後輩教員の授業をみて、怒りに近い感情を抱いてそれをぶつけてくることに対しては、頭をさげる必要はなく、その怒りを鎮めることは上司の課題であると考えます。ここも課題の分離を用いることで少し気持ちが楽になることもあるかもしれませんし、自分が引き受けるべき課題も明確になることでしょう。

課題の分離はやや冷たい印象を受けるかもしれませんが、先述したようにいつでも援助する用意があることを伝えることが大事ですし、本書でも「課題の分離はよりよい人間関係関係を築く上でのスタート」とされているように、ここから必要な人生のタスクに向き合うことになります。人生のタスクについては別の記事に譲りたいと思います。

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