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2 目的論とライフスタイル

岸見一郎さんの『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』を参考に、アドラー心理学を生かして教師としての在り方を見直そうとするためのnoteです。

今回は、前回の記事 https://note.com/nagaken/n/n29c44788d30b で書いた「叱る」ことに依存していた自分について、目的論とライフスタイルというアドラーの考え方を基に解説してみようと思います。

「忙しくて◯◯できない」

目的論について分かりやすく説明するために、かつて私が陥ってしまった思考のサイクルについて書いてみようと思います。

2人目の子どもが生まれた時に、それまでの自分の働き方を大きく変える必要が出てきました。それまでは朝誰よりも早く出勤し、職員室を開けて仕事を開始し、放課後もタスクを全て終えてから退勤していたため定時を1・2時間は過ぎるような働き方をしていました。しかし、同職の妻と一緒に子育て共働き生活を成り立たせるためには、そのような働き方は通用しません。朝は定時ぎりぎりに出勤し、放課後も定時に退勤することが求められるようになりました。(もうちょっと残って仕事したいな)と思う場面は多々ありましたが、それができない状況にどんどん精神が削られていきました。そこから「子育てが忙しいから十分に仕事ができない」という考えが自分の中で大きくなっていきました。さて、この「子育てが忙しいから十分に仕事ができない」という考えには一見何の違和感もないように感じます。しかし、アドラー心理学の目的論から捉え直すと、”仕事をしたくない”という目的を達成するために”子育てが忙しい”という状況をつくり出しているということになります。これが『嫌われる勇気』に書かれた目的論をもとにした捉え方なのです。他にも例えば「校務分掌が多くて忙しく、十分に授業準備ができない」という状況も目的論から捉え直すと、”授業準備をしたくない”という目的を達成するためや”授業がうまくできない”ことから目を背けるために、校務分掌が忙しいという状況をつくり出しているということになります。これは必ずしもこうであるという決めつけではなく、苦しい現状は自分がつくり出していることに気づいて、少しでも楽な方向に向かえるように自分の見方を変えるきっかけを与えてくれるものと捉えるとよいでしょう。私自身もこの考え方に出会ってからは、自分が苦しい状況をつくり出していることに気づき、自分が向き合うべき課題に目を向けることができるようになりました。

目を背けるために「叱る」に依存

これを前回の記事の「叱る」行為に依存していた自分に適用すると、叱ることを手放した先にあるかもしれない学級の荒れと向き合うことや、叱る以外の方法を知らない自分と向き合うことの怖れから目を背けるために、叱ることによって学級が上手くいっているのだと無意識のうちに思い込むようになっていたのだということになります。叱ることを手放した時に、新しい方法を模索する労力や教師としての力の無さと向き合う勇気をもてていなかったのです。叱ることに依存する理由は他にもあると思いますが、目的論という視点からみるとこのようにまとめられると思います。

そして、叱ることを続けていった結果として獲得されていくのが、叱る教師としてのライフスタイルということになります。自分の教師としての在り方は自分が選び取ってきたものであるという前提があります。例えば「これまで荒れた学校ばかり経験してきたから自然と厳しい指導になる」という意見や「好き勝手させると教室がめちゃくちゃになるから自由にさせられない」という意見は、そうあることで自分を守ろうとすることから生まれているのです。そうすることが自分に都合がよいからです。自分はそのような教師だと決め込み、振り返ったり、学んだりすることから遠ざかっていったのです。ここと向き合うにはかなりの勇気が必要になります。

褒めることに依存するのも同様で、そこを手放して称賛に頼らずに子どもたちの自立を目指した関わりを模索していくことにはかなりの勇気が必要になります。ちなみにアドラー心理学では賞罰教育は否定されています(ここは別の会に譲ります)。

他にも目的論の視点からみると改善の余地がありそうなことが多々見えてきます。変化が求められる時代に不易の部分にこだわり過ぎている場合などはもしかすると、変わりたくないという目的を達成するために不易の良さを強調しているのかもしれません。そのような視点をもって自分を見てみるのもよいかもしれません。

新しい指導法を身につけて接することで、子どもたちにプラスになることは分かるが、失敗は恐いし、現状で上手くいっているから必ずしも変える必要はない、だから新しい内容を否定することで変わらない自分を肯定しているのです。

このようなアドラーの教えは僕にフィットしました。しかしこれが誰にとってもフィットするわけではありません。受け入れ難い場合もあります。そこをゴリ押しするわけではなく、こういう捉え方もあるという視点をもつだけで救われることがあります。私自身がそうであったように。なので、今後も続けて書いていこうと思います。

https://note.com/nagaken/n/n8d1b8a609cf1

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