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私の文章はサビが弱すぎる

文章と音楽って似ているな、と思うことがあります。
『表現』というくくりで考えれば同じ枠に入るので、似ていて然るべきなのですが、両方とも作る経験がある者としてはその似ていることが面白いな、と感じるようになりました。

違うところといえば、
文章には言葉が絶対に必要だけど、音楽には必要のないこともある。
音楽には旋律が必要だけど、文章には必要ない。
そのくらいでしょうか。

最近は文章を読むときに、その構成を曲に置き換えて考えてみて、「これはAメロが長いからサビまで読めない」とか思うようになりました。
キモいですね。自覚しています。

でもこれにも、流行ってあるな、と思うんです。
少し前は、ある程度の文字数がありつつ、それを最後まで読ませる文章力のあるものが多く読まれていた印象があります。
曲でいうと、A-A’-B-A-B-サビ みたいな「焦らし」をちょっと感じつつも最後まで聴いちゃって、焦らされた分だけ逆にスッキリする、あれです。

確かに、ちゃんとサビで納得させられればいい文章なんですけど、そうでないと消化不良になるんですよね。
ここまで読んだのに、何も感じるものがなかった……と。
読むことと聴くことを比べたら、読むことの方が重労働ですから、そう思うのも無理はありません。

そのためでしょうか、最近は”サビ始まり”の文章が多い気がします。
先に結論を書いて、「こういうコンテンツだよ」と示しておくんです。
これはタイトル詐欺とかにあう心配もないし、結論は冒頭で保障されているから、安心して読めます。
しかもちゃんとAメロBメロ的な感じで、根拠とか補足情報を書いてくれたのち、もう一度結論でサビを持ってこられると、「な〜るほど!」と思うわけです。

まあ構成はそんな感じだとして、よく読まれているものとか、noteでスキが多い文章というのは、サビがめちゃくちゃいいんですよね。
長さも十分あるし、文章の流れもいいし、選ぶ言葉も洗練されていて、「ここが盛り上がりだよ」っていうわかりやすい主張がある。
ちょっとその部分だけ何度も読み返したくなるような、紙の本だったら蛍光ペンで色を塗りたくなるような、そんな感じです。

あと、「余談ですが……」の使い方が上手い人っていますよね。
本当に余談なら書かない方がいい(と思いつつ私は書いてしまうんです)けど、これは大サビを引き立てるためのCメロだと思うんです。
ちょっと違う切り口で話を展開しつつ、効果的に結論に結びつかせる感じは、部分転調した後に半音上がるみたいな高揚感を与えていると思います。

ここまで書いておきながら、この文章にはサビがないことに気付きました。
これまでに書いた文章も、サビが弱かったり、短かったりのものが多いなって思います。
だからあんまり読まれてないのかなぁ。
わかっていても、そう簡単にはできないものです。
(曲の関してもキャッチーなサビを作るのはあまり得意ではないので)

今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。
(構成とか内容とかエネルギー的な意味も込めて)エレカシの曲みたいな文章が書けるようになりたいな、なんて、思ったりしています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!