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必要とされない方が、私は嬉しい。

これは書こうかどうか迷ったことなのですが、「できるだけ私のことを思い出さない人生を送ってほしい」と思っています。
少し乱暴な言い方ですみません。
これは家族や友人や仲間と呼べる人たちに向けてではなく、私の歌を聞きにきてくれる人に向けてのお話です。

歌を作って歌う人、は日本にどれくらいいるのかわかりませんが、かなり多いだろうことは想像に難くありません。
その中でも、やはり歌うたいとしての”役割”のようなものがそれぞれにあると私は思っています。
各々一言で表せるようなものではないので、具体的に誰がどうとかは言えなくて申し訳ないのですが。

ただ、自分にもし役割が与えられているのなら、それは端的に言えば「痛みに寄り添う」なんじゃないかな、と感じています。

楽しい曲でテンションを上げたり、「頑張れ」というメッセージで自分を奮い立たせたり、私もそういう曲に助けられて生きています。
でも、それがツラいと感じることがあるのも事実です。
楽しいだけじゃ乗り越えられない時、「頑張れ」が逆にツラい時、そんな気持ちを肯定できる歌を歌いたいな、と思うのです。

だから、楽しい歌はあまりありません。
どちらかというと、寂しい歌が多いです。
でも、投げやりになったりはしません。

こんなことを言うのは烏滸がましいのですが、私の歌がセーフティネットになってくれたらいいなと思っている部分はあります。
それは痛みに寄り添うという意味でもそうですし、「こんな人でも生きている」と思ってもらえたらそれでも全然いいと思います。

ああ、ちょっと今やばいから、永井里枝の歌でも聞くか……
と思い出してくれたら、私は喜びます。歌っている意味があると、思えます。

でも、そうやって私を思い出してしまうような”やばい状態”には、できるだけなって欲しくないのです。

だからどうか、できるだけ私のことを思い出さない人生を送ってほしいな、と、本気で思っています。

私の曲を聴いたことがない方にはナンノコッチャわからん話だったと思うので、最後にリンクを貼っておきます。
気が向いたら少し、聴いてみてください。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!