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ルックバックを読んで 永池マツコ

チェンソーマンが2巻まで期間限定無料公開になっていたので、どんなものかと試してみたら止まらなくなった。2巻まで読み切って、お風呂に浸かっていたら「ルックバック」を思い出して泣いてしまった。読んだ時の気持ちがありありと蘇ってきたので、書き留めておきたくてPCに向かっている。

藤本タツキ先生のことは、詳しく知らなかった。チェンソーマンという漫画が人気らしい、程度の知識レベルで私はあの日ルックバックを読んだ。敬愛する漫画家、おかざき真里先生がTwitterで紹介していて興味がわいたのだ。

「これはこの日に公開されたことに、同じ世界線を生きている私たちにとって、とても意味があるものなのだと思いました」

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何やら意味深だな、と思って読み始め、読み終わったころには放心状態だった。その日は一日中、ルックバックのことを考えていた。

一言で言い表せない本当にすごい作品なので、印象的だったことを2つに絞って書き留めたい。ここからは【ネタバレ】ご容赦。

ひとつは、やはり「ラ・ラ・ランド的展開」のあの場面。犯人に飛び蹴りを喰らわせ、救急車で運び込まれながらも笑顔で会話する二人。この描写を見ると「え…?もしかして今までのは夢?」と混乱し、この世界線が本物だったのだと救われた気持ちに一瞬なるのだが、次のページをめくるとあっけなく夢から覚める。京本のお葬式の帰りに、京本の部屋の前で泣いている藤野。あれ、私、今と全く同じ心の動き方を過去に経験したことがある、とデジャヴのような感覚が走り、エマ・ストーンの涙を流す顔がすぐに頭に浮かんだ。ああ、ラ・ラ・ランドだ。これはラ・ラ・ランドじゃないか。あんなに悲しい心の動き方を、またしても味わわせるのかこの作品は、と涙があふれたのを覚えている。この感覚を思い出して、さっきお風呂で泣いてしまった。だって、残酷だ。「こうあったらいいな」という夢をわざわざ見させておいて現実を突きつけるなんて、残酷だ。今も書きながら泣きそうだ。

二つ目は、序盤で小学校の担任の先生が「京本に漫画の枠を譲ってくれないか」と藤野に頼むシーン。私はこの先生を心から尊敬している。不登校の生徒の長所を見抜き、活躍の場をさりげなく持たせる。卒業まで京本が学校に来ることはないが、学級新聞というツールを使うことで、京本が学校に来なくても彼女の存在を皆が承認する環境を自然に作り出している。こんな風に生徒に寄り添える人がいるだろうか。(ここで思い出すのは映画「告白」の岡田将生先生だが、書くと長くなるのでやめておく。対照的だなと思う)先生のさり気なくも大海のように大きく深い優しさに感動し、私もこんな風に人と向き合うことができるだろうかと自問する。

爆発的なヒット、クレームによる内容の改編など、ジェットコースターのようなスピードと高低差で進んできた本作品、紙媒体化されるようですね。紙媒体は再改編のものが集録されるようで良かった。デジタル媒体は紙よりも拡散スピードが速いから、そういう判断をせざるを得なかったのかな。インターネットでいつでもどこでも誰とでも繋がれる時代、あまり変わらないと思うのだけれど。

色々書き散らしたが、ルックバックは、あの日公開され、あの日読むことに意味があった作品だったと私も思う。あの日に読めて良かったし、芸術・文化作品の無限の可能性を知ることができた、力強い作品でした。

見た目重視の、薄っぺらい、安っぽいものが簡単に手に入る世の中で、重厚感のあるたくましいものを作ってくれてありがとうございます。

藤本先生と、すべての関係者の皆様へ。

追記:

ルックバック紙媒体、発売日本日なんですね。あら偶然、全然狙ったわけじゃなかった。虫の知らせってやつですかね、どうしても今書かなくては、書ききらなくてはという思いで綴っていました。買います。


ながいけまつこ

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