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晴れの日も雨の日も#210 野良

野良犬、野良猫を見なくなった。ノラに近い猫は、まあ、まだいる。でもそれもサザエさんの歌に出てくるようなホントの野良猫ではない。何となく餌をくれる人もいて、でも、その人は別に飼い主じゃない、という半野良のようだ。野良犬に至っては全く見ない。

野良。
コトバンクによると、① 野。野原。草などのしげっている所。② 田または畑。田畑。とある。野良犬・野良猫は、草っぱらに住んでいる犬とか猫というのが本来の意味なのだと理解した。
でも語感的には、もっと、野生っぽいイメージとか、人の手垢が全くついていない、もしくは人を見たら唸り声をあげて敵対するようなそんなイメージもある。


昔は、子供たちが、生まれてきたばかりの子犬や子猫を拾ってきたものだ。「ウチでは飼えません!捨ててきなさい!」という親と「雨の中かわいそうだよー」と泣く子供なんてのは昔のドラマの定番だ。
猫に至っては、季節になると夜中にさかりのついた猫が「うおおーん」と声をあげ、そうしてしばらくするとウチの縁側の下で子猫が生まれていた、なんてことが日常的な風景としてあった。

そうだ。書いていて気がついた。野良猫を見なくなると同時に、最近あの猫のさかり声も聞かなくなった。

ノラ犬にしても、小学校にあがる直前に、近所の田んぼで凧揚げをしていたら犬に追いかけられてワンワン泣いたことを思い出した(ワンワン泣いたのは私。犬ではない😂)。その犬はまだホンの子犬で、小さい私にはそれが大きく見えたらしい、とあとでオフクロから聞かされた。もう半世紀強前、田んぼの隅にはまだ肥溜めがあった時代の話だ。


さて、一方で、今はペット全盛の時代だ。
自宅で犬や猫を飼っている人は多い。子供はいらないけど犬は飼いたいというご意見の人もいらっしゃる。携帯の待ち受けに愛犬の写真を入れている人も少なくない。

今日び、犬や猫は家の中で飼うのが主流のようだ。犬猫の毛がくしゃみを誘発するとか、ごはん時に不潔だから、なんていう話は聞かれなくなった。餌は残飯なんていうのも姿を消した感じだ。犬や猫はすっかり犬権もしくは猫権を手に入れ、堂々たる家族の一員という扱いだ。

私のような唐変木でも、noteやテレビでかわいい犬猫を拝見すると癒やされる思いがする。飼い主にしたらなおさらのことだろう。かわいい犬猫を飼っておられる方を見ると、微笑ましかったりうらやましかったりする。

一方、昔はあるいは本来は、もっと自然に野良にいた犬猫が人間社会の中に取り込まれ、その中の構成員として位置づけられているようにも見える。そこに人間の管理社会が触手を広げている気配を感じるのは、少々イジワルな見方だろうか。ひとが犬猫をペットとして自室で飼う人が増えたことと野良犬野良猫が減ったことは、別事象ではあるが、全く無関係ではないような気もしている。

たとえば人間の管理が人間以外の犬猫にまで及び始め、支配を強化しているという見方。もしそうなのだとしたら、もっと手近な人間社会についてはさらに管理が進行していてもおかしくない。
ある意味便利なように。
目に見える部分も見えない部分も。
あれはだめよ。これはこうしなきゃ。人のことを考えて。
結果、住みやすいような棲みにくいような、そんな方向に向かっているような気がする。


猫は自由だ。いつでもしたいようにしている。人になつく犬系の私は、なかなか猫のように自由になれない。しかし、私も人間社会全体も、もっと猫のように自由になってもいいのかもしれない。全部をコンクリートとアスファルトで固めてしまわずに、野良も残しておくべきなのかもしれない。

じっとこちらの様子を伺う道端の猫。おまえも半野良か?

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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<予定(但し、臨時差し替え頻発😂)>
#211 【創作会話】心のヒダヒダとか一体感とか
#212 しかない思考癖・ねばならない症候群・べき人間
#213 先憂後楽とは言うけれど

(つづく)

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