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「晴れの日も雨の日も」 #74 セミの抜け殻大先生

セミの鳴き声が全盛期を迎えた。
セミの抜け殻が拙宅庭の木にも朝のウォーキングコースにも散見される。

セミはこの日のために7年間地中で過ごし、そして、鮮やかに脱皮して成虫になる。

見事なものだ。

セミに限らない。蝶々も同様だ。幼虫からさなぎになり、ある日脱皮して美しい蝶になり、大空を優雅に舞う。トンボもそうだ。カブトムシも変態を遂げて雄々しい成虫になる。

ある日突然脱皮して、全然別の姿の大人になる。
きっと何かトリガーがあるのだろう。
先祖代々体の中に仕組まれた何らかのDNAが
さあ、今、姿を変えるのだ、と発動する。
さあ、今この時を境に、昨日までの自分とは決別するのだと強く促す。
そして自分が子供なのか大人なのか考えたり迷ったりするまでもなく、その時には既に大人になってしまっている。



それに比べ人間の成長の何と見えにくいことか。
もちろん長い時間の間には、いつしか乳児が幼児になり、少年少女になり、思春期を迎え、大人になっていく。
しかし、セミたちのような、昨日までは子供/今日からは大人、という明確な線引きはない。
昨日との決別もなかなか難しい。いつまでも昔のことを引きずっていたりする。



セミが当然のごとくやっていることが我々人間には難しい。
セミのこの鮮やかな生き様を私は驚嘆の思いで見ている。

しかも形が変態するだけではない。暗い地中での暮らしから突然青空のもとに出てきて空を自由に舞うのだ。環境激変。当然食べ物も変わるのだろう。いわば全く別の生命体に変わるのに近い感じを覚える。

このドラステッィクな変化が、当たり前に、一匹の例外もなく行われるのである。いったい、これはどういう仕組みなのか、なんでこんなことが起きるのか。

生物としてのこの変化について私は全く知識を有しない。ネットでググって調べようという気もない。
しかし、こういう見るも鮮やかな切り替えとか、刮目して見るべき成長ということには大いに関心がある。


しばらく前のコーチング研修で「やろうと思ってもできない。やめようと思ってもやめられない。このことについて考えよう」というテーマで意見交換する機会があった。
この時、私は「何を決まりきったことを。単なる覚悟の問題やないか」と思っていた。切って捨てるがごとくそういう意見を吐いた。

ミニバスケットボールの指導をしていた頃、子供たちに「“勝てたらエエなあ”、と“石にかじりついても勝つぞ”、というのは月とスッポンほど違う。おまえたちはどっちや。」ということを繰り返し説いてきた。
スラムダンクで名将安西先生が絶対王者山王工業との決戦の前に湘北メンバーに語る「断固たる決意」と同質だ。

これがあれば、人間も目を瞠るような変化を遂げることができる。
いや、人間が脱皮するにはこれしかない。セミのようにDNA頼みだけではこういう変化は全く期待薄だ。

そして人間の場合は、「断固たる決意」を手に入れるためには、自分一人では極めて困難で、共に前進する仲間や優れた指導者の存在が欠かせない。
人との出逢いが必要なのだ。
で、そういう出会いに恵まれないと「体は大人・心は子供」ということになってしまったりする。




さて、今の私は「勝てたらエエなあ」どまりなのか、「断固たる決意」が準備できているのか。
そして、そういういい影響力を人に与えられているのだろうか。

そのへんに転がっているセミの抜け殻を見ながらそんな思いが胸を去来した。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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(続く)

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