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「晴れの日も雨の日も」#118 やわらかい心

年をとって体は硬くなったが、心はいつまでもやわらかくありたい。


折れることのない、柳のような柔軟なこころ。
ゴツゴツしてなくて、ふんわりとやわらかいこころ。
四角い枠にも丸い入れ物にもすっとおさまる変幻自在なやわらかさをもったこころ。
やわらかい木漏れ日のような、そこにいる人を優しく包み込むこころ。
いろいろなことに反発するのではなく、やわらかく受け止める弾力性のあるこころ。

そんな心に私は憧れる。
とっても憧れる。

どうしたらそんな心になれるのだろう。。。。。。

♡♡♡♡♡♡・・・・・・・・・・・・・・・・

そうだなあ。

そういう柔らかい心は、ゆったりとしている気がする。ゆとりが大事なのだろう。
たとえばスケジュールをぎっしり詰め込まれて、手帳に余白のない状態。
次はあれしてこれしてと追いかけられていては柔らかい心には到底なれない気がする。
車のハンドルにもアソビが必要だ。忙中閑ありとの言葉もあるが、ゆとりのないキンキンに張り詰めた状態では忙、すなわち心が亡くなってしまいかねないのだと思う。

ゆとりは余白と言い換えても良い。
心の中に余白を持てないというのは、心が何かに捉われている、自分の心が何かに占められている、という状態でもある。こうなると柔らかい心とは対極になってくる。

余白はとても大事だ。
何も書いてない真っ白な余白がかえって空間の広がりや奥行きを感じさせたりする。情緒的だったり想像力をかきたてたりすることもあるだろう。
そういったことと心を柔らかく保つことは大いに関連があると思う。

余白を作るためには手放す事が必要だ。手放すの反対が執着だ。こだわりだ。そういうものは柔らかい心を持つための大敵だ。意固地になるなんてのはもってのほか。周囲のことについても自分の状態についてもあるがままに受け止める。正しくあろうとしすぎない。

うーん。なんだかこう考えてくると、自分は反対の事ばかりやってきた気がしてくる。。。いまだ道遥かなり。。。



行き詰まり感に襲われてもしょうがない。ちょっと気分転換、肩の力を抜いて考えてみよう。

好きな音楽や食べ物、美しい景色、心に響く言葉、そういったものに囲まれて日々過ごすというのも柔らかい心で生きていくために大事だろう。仕事や必要なことばかりに追い回されているようでは柔らかい心は遠ざかってしまう。

音楽といえば、最近Spotifyで音楽を聞くようになった。
かつて親会社での営業マン時代は、全国あちこちへの出張が多く、新幹線や飛行機の車中で音楽をよく聞いていた。大したものは聞いていない。サザンオールスターズとかコブクロとかドリカムとか、全く持って月並みだ。
インドネシアにいる時はマンションの中にジムがあり、休日はこうした音楽を聞きながらトレーニングに汗を流した。
3年半前に日本に帰ってきてからもそのまま音楽を聞く習慣が続いていたが、ある時、こんなことをしていたら人間が軟弱になっていかん、と思うようになった。エエ年こいてチャラチャラ歌聞いててどうするんや、もっとしっかり地に足つけて自分を鍛えんかい、と思ったのだ。で、しばらく歌から遠ざかっていた。カラオケに行く機会が激減したことも影響しているかもしれない。

それが、上記のような余白とかゆとりとか、あるいはしっとりした心のありかたといったことに自分の目が行き出してから、また、音楽を聞く習慣が復活した。そうするとパサパサでガチガチだった心が、また少し柔らかくなってきたような気がしている。ま、できることを無理せずやったらええやん♬

六甲山に沈む夕陽。しみじみと心が潤う時間だ。

追 先日同期入社のcrf、16と一献傾けた。crfは会社を辞めて鍼灸師の勉強をしている。16も弁護士になるべく退職した。私も含めヤメ組だ。♯92のアンディも含め、私は勝手にヤメ4人組と呼んでいる。
久しぶりに会ったcrfは肩の力が抜けた自然体だった。気負いや無理が生じがちな自分の姿と対照的で、大変勉強になった。
退職後も月に数度はいろんな人と一杯やるのだが、最近誰と飲んでも必ず何か気づきや得るものがある。心の窓が開いている賜物だろうと嬉しく思う。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
コーチングのご相談などご連絡はこちらに→nagaib61s83@gmail.com

<予告>
#119 三つ子の魂百まで。か?
#120 ながいコーチングワールド
#121 今日の感謝

(続く)

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