晴れの日も雨の日も#179 運動会雑感
今月初め、拙宅近傍の小学校、中学校で運動会を開催していた。大昔は運動会といえば10月と相場が決まっていたが、最近は今頃に開催する学校も多いようだ。学校から放送が聞こえてきて懐かしい思いにとらわれた。
知り合いの中学校教員からムカデ競争を指導した際の話を聞いた。
男子チームと女子チームのリレー形式で、足からひもを解いて、後続のチームに渡す。いわゆるバトンパスの代わりだ。
先発チームのひもの結び方は、ちょうちょ結びが鉄則だ。万一団子結びにしてしまうとひもがすぐに解けない。
ところが中1だとちょうちょ結びが出来ない子がいるという。確かに、普段のスニーカーの脱ぎ履きだけなら、いちいち紐を結んだり解いたりしない。
この先生、一計を案じた。
ちょうちょ結びが出来ない子を、出来る子の前後に配置する。出来る子に代わりに結んでもらうわけだ。出来ない子には家でちょうちょ結びの練習習得を宿題として与え、出来るようになれば本人がやればいい。が、最後まで出来ない子も中にはいる。練習と本番で配列が変わるのは避けたい。で、最初にそんなふうに配置を決めるのだという。
生徒たちも「勝ちたい」という思いが強く、出来ない子の世話を喜んでするし、そうやって助け合うことでチーム意識も芽生えるのだとか。出来ない子も自分がみんなの足を引っ張るのは避けたいのだ。
なるほど〜。
この先生は負けず嫌いで有名で、この話を聞いた我々一同は「らしいな〜」と大笑いしたのだが、勝負のポイントを見極めるという意味で、なかなか興味深い話でもある。
普通は、イチニイチニと全員が息を合わせて、ムカデの進行スピードを少しでも早くすることにばかり目が行きがちだが、実はレースとしての勝ち負けのポイントはそこではない。いくら早く歩いても、紐が解けなかったらどうしようもない。この先生はその勝負のアヤを見抜いて、そこに工夫を加え、ダントツの速さで勝利した。
こんなことってほかでもあるんじゃないだろうか。
何で勝負が決まるか理解が不足しているケース。
頑張るポイントを勘違いしているケース。
今ここ勝負、というタイミングに気づいていないケース。
ただ闇雲に頑張ればいいっていうもんじゃないよなあ、たかが運動会されど運動会、なんて思わせて頂いた。
運動会も昔とはすっかり様変わりのようだ。
昔は運動会の大トリを飾るハナといえば組体操。ピラミッドや人塔などの大技が最後に控えており、うまく出来れば観客は拍手大喝采、やってる自分たちも達成感に高揚した。
15年ほど前の娘#4の中学運動会では、大きな布の真ん中に身軽な娘が置かれ、何人かでその布の端を持ち、一斉にピンと引っ張る。すると娘は空中高くに舞い上がるという仕掛けだ。実に壮観だった。
が、今は、アブナイということで、組体操はやらないらしい。実際、事故も起きているからわからんでもないのだが。。
先日yahoiさんの記事で、日本人はよく言えば規律ある国民性だが、同一化圧力と紙一重の部分もある、学校教育で集団教育を受けた影響か?という意見交換をさせて頂いた。
昔の組体操のような「一糸乱れず」というのは、個人的にはキライではない。が、程度問題とか、運用の仕方とかという問題は当然ある。同一化圧力の反対、いわゆる多様性の受容は、勝手にバラバラでええやないか、という事ではない。個を大事にするという事だ。個の尊重とチームとしての一体感とか連帯は二律背反ではない。学生スポーツでも優秀な指導者はそういうことを指向している。そんな感じが世の中全体に広まればいいなあと思う。
今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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<予告>
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(つづく)
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