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「晴れの日も雨の日も」臨時投稿 #22 人との距離感+身辺雑感

人間関係に悩む人は多い。たとえば職場でも半径3m以内の人間関係が、朝目覚めた時に気持ちよく会社に行く気になるかどうかにものすごく影響する。こうした悩みが高ずると心の病になったりもする。

上司にある程度気を遣うのはいわばやむを得ないにしても、部下や同僚との人間関係だって簡単ではない。今は年上の部下を持つ人も増えてきた。
私が若いころは、自分より年下もしくはほぼ同年代のアシスタント役の女子社員が周りにいて、いわばキャッキャと話をすることもあったが、今はなかなかそうもいかないらしい(いや、こういうことを書いている時点で既に今風に言えばアウトなのだろう)。
そして巷には「人間関係を楽にするには」みたいな本があふれかえっている。

要するに正解のない世界なのだ。

自分にだっていいところも良くないところもある。誰だってそう。100%いいところだけなんて人はいない。
もっと言えば、長所のハズのことが場面や相手が変わればマイナスに転じたりもする。
おまけに人間と人間には相性というものがある。私にとっていい人が、別のAさんにとってもいい人とは限らない。

結局、みんな人それぞれ、自分で人との付き合い方を学んでいくしかない。隣の誰かさんのやり方は、自分にとってある面参考になるかも知れないが、それはあくまでもお隣さんのやり方でしかない。

一般論として「人と関係を作る」ということには、多少上手下手の個人差があるような気もするが、じゃあ、何をもって上手/下手というのかといえば、これも難しい。
より多くの人と仲良くすればいいのか。仲良くしているように見えても薄い付き合いでしかないなんてこともある。大きなトラブルなく毎日を過ごしているが、実は心の中には大きな孤独感を抱えているのかもしれない。友達の数は多くないが、本当の親友と呼べる人を一人でも持っている人の方が実は幸せなのかもしれない。

付き合い方の深い浅いだってどちらがいいのか一概には言えない。
今は、濃い関係はどんどん敬遠されるような傾向にある感じもする。濃い関係は重たい感じがあって、疲れる・面倒だというのも理解できるが、Twitterでたくさんフォローやスキをもらっているからといって、それがなんぼのもんなの?という感覚が私にはある。

と、どこにでもあるような一般論を書いてきたが、私自身についていえば、たぶん濃厚な人間関係を好む方だ。
もともとの幼少期は人と触れ合うことが大好き、という訳でもなかったのだが、大学の水泳部で揉まれているうちに突然変異を起こしてしまった。
社会人になってからはほぼ一貫して、できるだけ多くの人と深く関わることが良いことだ、と思い込んでやってきたフシもある。バスケットボールを小中学生にアツ苦しく指導したこともある。
ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨かれない、人も人と関わることで磨かれる、という言葉に出会ったのもこの頃だ。

が、親会社を定年退職する頃から、いや正確にはそのしばらく前から、ちょっと私のトーンが変わってきた。
今でもいざとなればいつでもアツく関われる馬力は残しているつもりだが、卒業(前)のおっさんからそんな関わられ方をすることを相手はどう思うんだろう?ということを考え始めた。
当たり前と言えば当たり前の視点であり、恥ずかしながら、今頃やっと気づいたのか、という話でもあるのだが。

そして、今やっているコーチングの世界。
当初、私は、上記の「ダイヤモンドは云々」の言葉よろしく、人に行動変容や成長を促すには、相手のことに一生懸命になる熱さが自分の中に必要だと思っていた。が、やってみるとどうもそうではないらしい。
その人の問題解決はその人自身の問題であって、コーチはそこからは少し距離を置く、ということが基本の考え方。相手の問題解決にコーチ自身が一生懸命になってしまうのは二人で道に迷うようなことになりがちで、相手の本当の成長という点からもむしろ逆効果ということになっている。

まあ、言わんとすることはわかるけどなあ。。。と思っていると、つい先日、鮮やかなうっちゃりを食らうことがあった。敬愛するコーチにちょっとラブコールを送ったのだが、ご自身の主義・スタンスにあわない事とのことで、実にあっさりとご辞退の連絡を頂いた。でも、私とのこれまでのご縁まで切ってしまおうという訳ではないという。そのご様子には未練もこだわりもなく、誠に鮮やかであった。これは、自分の本当にやりたいことを明確にするというコーチング本来のことをご自身にも問われた結果であり、嫌みも悪感情もなく淡々としたご判断・ご反応なのだ。実は、私の方は、そのオファーを送るまでに結構いろんな事を考えていた。どう進めたらいいかしら、これでこちらの想いは伝わるかしらとか、あーでもないこーでもないとぐちゃぐちゃした過程があったのだが、先方様は私が掴んだ袖をスコーンと振り払われ、あっぱれ見事な立ち居振る舞いであった。

で、私はいま、「自分はこういう距離感の持ち方ができるだろうか」と自問している。
私が現在何人かと進めているコーチングセッションもどちらかというと、上記のピュアコーチングのようないわばドライな関係ではなく、もうちょっとベタな、ズブズブの、よく言えば肌の温度感が伝わるような感じに近い。
お相手の方々からは「それで(が)いい」という声を頂いており、#20に記載したような記念品をありがたくも頂戴するようなことになっているのだが、なるほどベテランコーチはこんな感じなのか、とまた勉強させられた。


さて、私は誰とどんな距離感を保ちたいのだろう?
どんな距離感・温度感がお互いにベストなのだろう?
コーチングの場面での関係、それ以外の友人・同僚関係、家族との関係。。。
場面や相手に応じて、この答えのない問いを引き続き考えていきたい。

おまけ
①昨晩、ヘンな夢を見た。
大昔の上司・恩師が登場する夢だ。その恩師と私の職場に新しく配属になる人がきた。要人で、然るべく受け入れをしないといけない。私は、歓迎会をするべく段取りを進めているのだが、恩師から「歓迎の意を和歌で表現しろ(そういうことができる人を探せ)」という指令を受ける。その後、コロナ?か何かで歓迎会は延期になった。私は、てっきり和歌の話も歓迎会同様延期でいいものと思い込み(歓迎会で和歌を披露すればいいと思っていた)、この段取り作業を途中で中断してしまった。で、その要人の初出勤の日。着任の挨拶を要人がされた後、恩師が私に「じゃあ、次は和歌」とのたまわれた。上記の通り用意してない私は、顔面真っ青。恩師は激怒するわけでもなかったが、冷ややかな一瞥を私にくれた。というものである。
明らかに私に落ち度があるのだが、こういう勝手な思い込みにより後で汗顔の思いをするというのは、夢の世界以外でもしばしばある。気をつけて毎日過ごせ、という神の啓示なのだろう。
しかし、いかに私が学び好きだとしても、夢の中でまで学びたいと思っているわけではない。せめて寝る時ぐらい心安らかに寝かせて欲しいものである。。

②兵庫と岡山の県境に日生(ひなせ)という町がある。牡蠣で有名な町だ。仕事でのご縁から、日生の牡蠣を購入する機会があり、年末に家族で賞味した。実に立派な名品で、家族からリピート需要があり、今回また新たに発注した。
私には5人の子供がいるということはこれまでに何度か触れているが、その第1子(娘)は東京でダンナ・愛息と3人で暮らしている。で、前回手配した年末時に、うちのおかーちゃんから「〇〇(上記第1子)のとこにも送ったげようとか無いの」というご指摘があった。
うっ。
そんなこと微塵も考えてなかった。でも全くその通り。
したがい、今回発注時には当然そんなことも腹中にある。が、ちょっと待てよ?娘はまだしもダンナや子供は牡蠣食べるんかしら?結構好き嫌いが分かれるからなー。で、おかーちゃんから娘に確認してもらった。すると案の定というか、ダンナは昔牡蠣であたったことがあり絶対食べない、子供(孫)も見た目がイヤということで食べないと。でも、娘は、一人でお昼に食べるから欲しい、と。
なんだかイヤラシイなあ。ダンナや子供がイヤだと言っているのに、我がの娘のためだけに送ってやるか?フツー、そんなことするか?そもそも、娘が私が一人で食べる、と言っているのもコソコソやってるみたいで気に入らない。おまけに最小発注単位は一人でお昼にちょっと食べるにしては少々多い。
と、結構迷ったのですが、最終的には、「まあええわい。失敗になってもそれも一つのネタにしてやれ。やらぬ後悔よりやる後悔じゃ。」ということで送ることにしました。
さて、どうなりますことやら。

私の親友から事情があって自宅でヒマにしているとの連絡がありました。その暇つぶしになれば、ということでささやかなプレゼント臨時投稿です。

今日も最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました♬
                         長井克之                       nagairb21@jcom.zaq.ne.jp

<予告>

#23 成長について
#24 聞くということ
#25 チャンスの女神
#26 いつまでも少年の心で(誕生日前夜)
#27 男らしいって知ってるかい?

(続く)

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