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晴れの日も雨の日も#172 「自由」シリーズその2 依存

前号では、おでん屋姐さんの進退問題から、会社が過保護になって、社員の会社依存を招いているのではないか、という記事を書いた。

依存というのは、精神医学で使われる言葉だが、なかなか厄介な病気だと認識している。
それがなくては生きていけない状態。
自立と反対の状態。
一般的にはタバコやアルコールの依存症がよく知られている。買い物やゲーム、SNSなどにも依存症があるようだ。さらには薬物依存となると、周囲も含めて大変だ。

相互依存の親子のことを少し書く。
30半ばのご夫婦と小学校中学年の男の子の3人家族。ご主人は誠実実直だが、どちらかというと人間好きな方ではない。子供は一人っ子で、体もやや虚弱系だ。
そんなこんなで、お母さんは昔からずっとこの子にかかりっきりの専業主婦だ。最近ではお父さんをむしろ排除して、ほとんどお母さんが一手に握っている感じになっている。結果として、母子の閉ざされた世界が出来上がってしまっている。
たとえば、どこに行くにも二人で手を繋いで出かける。その年格好の自分を振り返ると、10歳の男子が母親と手を繋いでいるなんて、友達にでも見られたら恥ずかしくてしょうがない、と思うのだが、気にする風ではない。そもそも友達があまりいない。母親の方もママ友をはじめ交友関係が豊かではない。
子供も母親に依存しているのだが、実は、それ以上に母親のほうが子供に依存している。この子が全て、になりすぎていて、自分の人生、自分の行き方を見失っている感じだ。

このお母さん、自分が息子に依存していることに気づいていない。コーチングの話もしてみたが不調だった。いずれこの子が中学に上がって、部活でも始めれば、自然と二人の関係性が変わるのかもしれないし、現状ではその時が来るのを待つしかない感じだ。

ちょっとネットで調べてみたら、「悪い依存」として、「自分が安心や満足を得られないために、常に相手にしがみついたり、相手を支配・束縛しようとする」状態とあった。まさに「しがみつく」のが良くないのだと思う。この母子にしても冒頭のサラリーマンにしても、これに該当するのだろう。

他に行き場がなく、これを失うと今立っている大地がガラガラと音を立てて崩れそうな恐怖感。その恐怖に耐えきれず、しがみついてしまう。
こうなると、自分の人生を自分の意志と力で生きている、と言えなくなってくる。

依存から脱却するためには、まず、「今、自分は依存している」ことを自覚することが一丁目一番地だ。そして適度な距離感がないと自覚は難しい。距離感は、相手・対象物との距離感もあるが、そういう自分を俯瞰するような自分との距離感も大切だ。

そして、依存したくなる気持ちの底、寂しさとか無力感とか孤独感とか、そういったものとしっかり向き合うこと。
そのうえで、依存から脱却するぞ、という強い思いを持つこと。

なかなか一人では難しい。だからコーチングの出番なのだが。


会社に依存しているサラリーマンも、いずれは卒業する時が来る。会社のバッチを外し、所属名のない自分の名前一つで生きていかなければいけなくなる。そしてそこからが本当の自分自身の人生だ。

自分を律し自分の足で立つ。
自律と自立というふたつの「じりつ」は依存と対局であり、自分らしく自分の人生を選択していくためには必須なのだと思う。そしてここから「自由」が生まれるのだと思う。
自分が勝手に組織を飛び出した身だから言うわけではないが、過保護の中にあって依存しすぎることは、結果として、そのあとの人生を難しくするような気がしてならない。(次号に続く)

今年もツバメのヒナが姿を見せた。もうすぐ元気に巣立つのだろう。最寄り駅にて。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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<予告>
#173 「自由」シリーズ完結編 自律・自立・自主・自由
#174 続中学生日記
#175 おでん屋にて#11 沼からの脱出

(つづく)

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